元気出そうよ!高校生

朝日新聞の記事でびっくり!

 日本青少年研究所などが10年度に行った、日米中韓4カ国の高校生を対象とした調査で、「自分を価値のある人間だと思うか」との質問がある。日本は、6割強が「全然そうではない」「あまりそうではない」と答えた。米中韓では、「そうだ」「まあそうだ」が7割強〜9割弱となり、その違いがくっきりした。

 どうしたんだい!日本の高校生、俺たちの後輩よ!なにが君たちをそんな卑屈な気持ちにさせるんだい?就職難のせいかな?それだったらアメリカだって同じだ。本当に私はよくわからない・・・

 今上映中の「コクリコ坂から」観てごらんよ。私たちの時代には高校生の誰もが容姿とか成績とか関係なく、なんとなくだが自分に誇りを持っていて、先生にだってあれこれ意見を主張したものさ。

 「若者たち」という古い映画をこの前テレビで観たんだが、あのタコ顔(失礼)の田中邦衛扮する中卒3k貧乏家族の長男なんか、小川真由美扮する上司のとびきり美人の妹(娘だったかな?)にプロポーズして断られた場面では、なんで自分を断るのかわからなくて彼女に質問していたよ!

 みんなもこの映画の主題歌は知ってるよな?
「きみの〜ゆく〜道は はてし〜なく遠い だのに〜な〜ぜ 歯をく〜いしば〜り〜 君はゆく〜のか そんな〜にして〜まで」
こんな気持ちが自分で自分をかっこ良く思えるんだよ。 

 もしかして、みんな自分の顔が他人と違うのが怖いんじゃないか?他人と違う生き方が怖いんじゃないか?だとしたらそれは「顔なし」だよ。お化けのようでもっと怖いさ。

 いろんな生き方あるんだし、それを教えてくれる本だって図書館に行けばいっぱいあるさ。ボランティアしたっていいし、山学校、放浪いろいろ発見の機会があるじゃないか。元気を出して「俺のために人生がある」と思おうよ!

 昨日のブログで紹介したケストナーの詩を君たちに贈ります。たまには小難しそうな文章だって読まないと未来を切り開くための想像力を養えないぞ!

エーリヒ・ケストナー
「人生処方詩集」より

「顔を交換する夢」

今ぼくの話そうとする夢を ぽくが見ていると
何千という人間が その家へおしかけた
そしてさながら誰かが命令でもするように
そして自分の顔が自分を折檻でもするように
みんなが自分の顔を脱いだ

壁の絵をとり換えるように
ぽくらは自分たちの顔をとり外した
それから 舞踏会が終ったとき みんなが仮面を手に持つように
ぼくらは両手に顔を持った
その場所が しかしお祭気分ではなかった

目も口もなく 影のように のっぺらぼうで
みんな となりにいる者の手をさぐった
もう一度みんなに顔ができるまで
交換は手ばやく 無言で行われた
各自が 他人の持っていた顔をとった

男はたちまち 子供の顔になった
女は顔に髭が生えた
年寄はお妾のようにニッコリした
そしてそれからみんな鏡へ飛びついた
ぼくもいっしょに駈け寄ったが ぼくにはぽくが見えなかった

だんだん混雑がひどくなった
ひとり 自分の顔を見つけた男がいた!
大声あげて 彼は群衆を押し分けた
そして自分の顔を困らせた
それでも顔は見つからなかった 顔は隠れたままだった

ぼくはあの長いお下げの子供だったのか?
ぼくはあそこにいる赤毛の女だったのか?
ぽくはあの禿げ頭のI人だったのか?
交換した顔の中には
かつての ぽく自身の顔は 見えなかった

そのときぼくはぞっとして目を醒ました ぼくは震えていた
誰かがぽくの髪をひっぱった
指がぽくの口と耳をつまんだ
怖ろしさが薄らぐと ぼくはわかった
それはぼく自身の手だったのだ

むろん まだすっかり安心はしなかった
ぼくは自分のでない顔をつけてるのではあるまいか?
あわてて跳ね起き 灯をともし
鏡へ駈けより 顔をながめ
灯を消し ホッとして ベッドに入った