2051年のマルコポーロ

 3.11の大震災で多くの命と多くの物が失われました。でも、海岸には小さな種子が流れ着きました。それは「助け合いの喜び」という種子。今そこから「助け合う仕事への希望」という芽が育ちつつあります。ボランティア、善意の復興投資ファンド、様々な企業支援・・これらを新たなビジネスモデルとして「私たちのために仕事がある」といえる社会創りにつなげられないものでしょうか?
 あらゆる仕事は「助け合う」というコンセプトでその価値を高められるはず。新たな仕事のニーズが生じるはず。何のために仕事をするのか、それは「助け合うため」。そのために人が行う仕事とは「人と人との心をつなぐ仕事」ではないでしょうか。

 昨日のブログ「2050年のマルコポーロ」の続編というかたちで、この考えからどのような社会ができるのかを想像してみました。

2051年のマルコポーロ

 2011年、日本に人知れずエントロピーの法則を超克した男がいた。彼は偶然エントロピーの法則が歪む時空の亀裂を往き来できるようになった。彼はそれを実現する乗り物「時空自転車」に乗って過去や未来へ飛んだ。

 この記録は「2050年のマルコポーロ」の続きである。

「時空見聞録」より

 何が「さいわい」するか「わざわい」するかわからないものだ。ひらがなで書くとよく似た言葉だ。きっと同じことの裏表ということだろう。

 2051年、実は私はまだこの未来社会にいる。1年前に時空の歪みに飛び込み、私の本来生きていた2011年の時代に戻るはずだった。ところが歪みに飛び込む手前で「時空自転車」のチェーンが外れてしまったのだ・・・。

 それから一年間、隠者のように秘かにこの未来社会のあれこれを観察した。そしてびっくりした。この時代への方向転換は私の時代2011年に始まったのだった。

 2011年3,11の大震災により、三陸の沿岸部では人とともに多くの会社もなくなってしまった。そのため生き残った人たちの多くも働き先を失った。しかし生きていかねばならない。徐々にではあるが新しいタイプの仕事が現れてきた。それは従来の会社というものではなく、原始的な共同体の要素をもった仕事モデルであった。

 前回の「時空見聞録」では表面的なことしか書けなかった。一年間いたおかげでなるほどこういうしくみなのか、と理解できたことが多々ある。そしてそのルーツが私たち先祖にあるということを知って、とても嬉しい思いをしている。

 しかし「会社」のない社会などありえるのだろうか?金銭的欲望とか利己心が邪魔をすることはないのだろうか?2011年に住む多くの人には理解が困難であろう。
 
 最初に結論を話しておこう。「会社」はなくなったのではない。形態が変わったのだ。「株式会社」は少なくなり「LLP(有限責任事業組合)」や「LLC(合同会社)」が大幅に増えたのである。特に「LLP」が増えた。その理由は目的ごとに組織されるいわば「プロジェクト事業体」というものだからだ。それが人間性を損ないにくいシステムであったからだ。

 多くの個人は複数の「LLP」に所属している。プロジェクトが終わればそれとは別な、あるいは活動の次のステップを担う新しい「LLP」が組織される。その結果、個人が特定会社の所有資産としてがんじがらめにならなくなったのだ。

 この社会は「プロジェクト社会」といえるかもしれない。「会社」という概念は「プロジェクト(事業企画)」という概念にシフトしたのだ。身近な例をあげよう。
 
 今まで過疎だった村で、安全安心の地域マイクロ流通システムをはじめた人たちがいる。それは「地域自律コンビニシステム」というものだ。コンビニフランチャイザー(この未来社会でも存続していたんだと感慨にふけったが・・・)が運営する「コンビ二and生協and道の駅システム」といえるものだ。その企画書を読んでみよう。

「地域自律コンビニシステム」について

 集落の中で店をしたいという希望者を募ります。立地は買い物難民の多い地域、地域社会を再構築したいという意思のある地域を優先です。店舗は一般的な民家のままでもかまいません。

 申し出を受けて、コンビニ本部の担当者がコーディネーターとして向かいます。そして、その店半径500m以内で会員を50人集めます。会員はその店で買いたい主なものを登録します。また、配達希望、調理希望、安否確認希望などさまざまなヘルプ機能の申し込みをします。

 さらに、自宅栽培の野菜や漬物、お菓子など店で売ってもいいものをも登録します。つまり、会員は買主であり、売り手でありさらにさまざまなサービスの供給者であり、受益者でもあるのです。その地域に合わせた一般商品はコンビニ本部が納品しますが、それ以外に何を売ってもいいという自由性を店に与えます。

 どこで本部は儲けるかというと、コーディネートの手数料収入、商品の卸収入、サービス提供の手数料、会員への他社商品宣伝料収入などたくさんあります。なにせサービスには送迎やら掃除やらあらゆることがありえて、さらにその担い手も会員始め地域の会社や人と提携するのです。

 当システムは地域の絆復活の基盤になりえます。あらゆる人々にとって合理的なものだと思います。なぜならこの店は店主の利益のためではなく、地域のみんなのためにある店なのですから。そしてこの店が担うのは「安全」「安心」です。

 この社会では実際にこのようなコンビニシステムが多数存在しているのだ。最初は企画をする「LLP」を、次は運営をする「LLP」を順次立ち上げながら、多くの住民がメンバーとして加わっていく。

 これは一つの例に過ぎない。さまざまな取り組みの中で特徴的なのは、「しごと」の中に「あまり難しくない労働」を織り交ぜていることである。だからだれでも「しごと」ができる。さらに複数の仕事をかけもちすることで必要な収入を確保できているのだ。

 「安心」と「安全」が確保された社会でお金を使わずに貯金しようとする人がいるだろうか?「助け合い」が基本となっているシステムの中で、利己的な考えに価値ありと思う人はいるだろうか?

 さて、枚数も多くなってきた。この社会の政治とか国際関係についても話したいのだが次の機会にしよう。そろそろ私の時代に帰らないと・・・。