2050年のマルコポーロ

 コンピュータは今「クラウド化」が旬です。ソフトウェアやサービスはインターネット上で使いたいときに使いたいだけ利用し使用料を支払うという形態です。「所有」から「利用」への転換です。同じ考えは私達の「しごと」にも拡がってくるのではないでしょうか?
  今、日本、いや世界の多くの国で失業率が年々上がり続けています。日本だけを見ても自営がとても困難な時代になってきたので「勤めている人(しごとがある人)」と「勤めていない人(しごとがない人)」の二極化がますます進んでいます。

 さらに会社に勤めてはみたものの年柄年中同じ仕事だけとか、自分の意思に反することまでせざるを得ないこともあります。東電の社員だってみんながみんな原発に賛成というわけではなかったでしょう。

 私は「会社」中心の社会システムは硬直化しつつあるように思います。これを他にたとえてみると、製造業でいえばラインの流れ作業に似ています。スポーツでいえば固定したポジションでゲームする野球と似ています。

 しかし製造業では数十年も前に、トヨタが流れ作業方式を多能工(多機能工)による一個造り生産方式「U字ライン」に変え、製造システムの考え方を180度変革しました。

 スポーツもそうです。数十年前は野球が花盛りでした。今やそれと同等以上にサッカーが人気です。この二つのスポーツはまったくタイプが異なるものです。野球は垂直協調単能型、サッカーは水平協調多能型、つまりサッカーの方がよりネットワーク型といえるでしょう。

 コンピュータープログラムもそうです。垂直的構造的な作り方から、小さなプログラム単位が有機的に連係し合う「オブジェクト指向」(自律分散協調動作)の作り方に変わってきています。

 さらに社会はインターネットやfacebook、twitterなどを通して、「人」と「人」という最小単位でのネットワーク関係が日々拡がる一方です。

 このように、あらゆる世界のあらゆる場所で水平化や分散化、相関化が進んできています。そしてこの流れはおそらくますます加速していくでしょう。

 そして「しごと」は「会社」単位から「個人」単位へとシフトし、クラウド化と同じように、労働力は「会社の固定的な所有資産」から「個人の流動的な資産」として、より弾力的な需要と供給のしくみを生み出すべく変貌していくことでしょう。

 その流れが止まらない理由のひとつを門外漢で恐縮なのですが、聞きかじりの理屈で説明したいと思います。

 私達の世界を決定的に特徴付けている物理法則は「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」といわれているようです。何でかなと思って調べると、時間は一定方向にしか流れないということがこの法則によっているからとのことでした。またコンピューターに関係する「情報理論」も一番根っこではこの法則が原理となって構築されているようです。

 この法則を簡単な例でお話しします。<たらいに張った水のうえにインクを一滴垂らすと、必ずインクは拡がり水と一緒に薄まっていく。この逆は決して生じない。このように宇宙にあるすべてのものは拡散し、無秩序(エントロピー)が増大していくだけである。この不可逆性こそが時間というものである。>おまけですがタイムマシンはこの法則を超克できない限り作ることはできないと言ってた方がいました。残念・・(私は専門家ではないので一応皆さんもお調べください)

 さて、本題です。クラウド型に変わったら私たちの「しごと」はどんなふうになるでしょうか?近未来SFと思ってお読みください

2050年のマルコポーロ

 2011年、日本に人知れずエントロピーの法則を超克した男がいた。彼は偶然エントロピーの法則が歪む時空の亀裂を往き来できるようになった。彼はそれを実現する乗り物「時空自転車」に乗って過去や未来へ飛んだ。

「時空見聞録」より

 2050年、どういうわけか世界は平和になっていた。数十年前、それは私がさっきまで生きていた時代なのだが、まさか未来でネットワークがこんなにも拡がり、こんなにも有効になるとはだれも思わなかっただろう。

 平和の最大要因は、この時代すべての人が「しごと」にありつけるようになったからである。

 2011年では「しごと」というものは主に「会社に勤める」ということであり、「経営者」と「従業員」という立場が相反する二種類の人間で運営されていた。さらに「株主」という、ある意味、金という単独の価値観ゆえに「文明の暴徒」と化した社会の黒子たちが世界を左右していた。

 2050年のこの未来社会で、それは大きく変わった。すべての人は「コンテンツ」であり「ユーザー」であるのだ。全世界のあらゆる人々は相互にアクセスできるネットワークにつながっていた。そのネットワークは特定の誰かが運営しているのではない。生物の神経網、血管網のように、もっといえば空気のように自然に存在する社会の共通インフラとなっていた。

 人はそれぞれ自分が提供できるものや自分の個性をネットの中であからさまにしている。それととともに今不足しているものや依頼したいことにについての情報も公開している。つまり「ギブ」と「テイク」の情報がすべての人々で共有されているのだ。

 このため「しごと」が大都市に集中することも、会社に出勤して働くこともなくなった。人々は社会全体のそのつどの需要と供給にあわせ、自らの「コンテンツ」を必要とするユーザーに提供し、また自らもユーザーとしてランダムにコンテンツの提供を受けるのであった。

 コンテンツでもっとも需要があるのは「体を使う仕事」「職人的仕事」「心理的・感性的仕事」などであった。なぜならそれらは人間にしかできないしごとであるからだ。しかも提供できる人が多いということが社会の平準化を促した。

 この社会では大きなお金は必要がない。すべての人々がネットワークによる平準化の恩恵を受けていたからだ。つまり需要と供給のかたよりの解消によって、多少の差はあっても、ほしいものをほしいときにほしいだけ得られるしくみができていたからであった。

 同時に個人単位で、ほしいものをほしいときにほしいだけ提供するしくみも並行してできていた。そのため貯蓄というお金の退蔵やその運用による過激な投資行為はなくなり、お金は本来の「価値交換」という役割を復活した。

 さて、風景はと見れば・・・なんと田園的、牧歌的、調和のとれた穏やかな社会になったのだろう!車は走っていない。煙突の煙もない。みんな自転車に乗っている。三人乗りもあれば、何台も連結して走るものもある。

 実はこの世界ではもうひとつ大きなインフラ改革があったのだ。それは「空圧移動システム(Air transporter)」とよばれるものだ。
地下やあるいは森の中に目立たぬように、空圧チューブが敷設され、安全かつ安心、つまり自然エネルギーを利用した超高速移動システムが完成していたのだ。

 すばらしい新世界だ!私の孫は、私に近い歳になっていることだろう。このような幸せな未来に生きる子孫を想像するほど幸せなことが他にあるだろうか?

 そろそろ時空のゆがみがせまってきた・・・帰らねば。帰りたくないが・・・