人間の香りがする会社

 政治家には「権力」の業、経済人には「金」の業があります。これに抗しきれず、多くの人は無意識に何かの道具になりさがっていきます。政治家はもとからですが、特に今目立つのは、経団連とかに所属する大手会社の社長連中の小物ぶりでしょう。目先の利益、仲間の利益だけしか考えていないように思える発言のなんと多いこと・・・
 創業社長のような進取の気性もなく、人間とか生命とかいう観点もぜんぜん感じられない経営者の多いこと・・・性能の良い計算機が社長になって、顔の見えない株主様にお仕えし、効率教という教典をあがめたてまつる僧侶という感じです。これじゃ上場というのは奴隷化と同義になってしまいそう。

 そんななか、人間の香りがする会社を発見しました。昨日引用させていただいた内田樹(たつる)さんのブログ「小国寡民のエネルギー政策」で紹介されていた「株式会社中島工務店」という岐阜県に本社のある従業員200人くらいの建設業の会社です。

 なにせこの宣言です。「もう電気はいらない」

 私は昭和19年11月19日の戦中生れ。戦後の昭和25年に小学1年。何も無かった。薄暗い赤玉電球の下で囲炉裏端の筵敷の居間でお膳を並べて麦飯と具のない味噌汁と一品のおかずと漬物だけの夕食だった。祖父母、父母、私と妹3人の8人家族。今から較べると貧しい生きるのに最低の生活だった。

 定期バスがガス薪で走り、大きな水車の製材所、学校はだるまストーブ、牛で田を起し掻く、苗を育てて植える、手で刈り、稲架で乾かし、足踏脱穀機でこき、水車の米搗き所ですり、くどで炊き・・・。とにかく何をやるのにも殆んど電気は使わない。ラジオが珍しかった。

 あれから60年余。何をするのも、電気、油、ガス。これが無ければ一日だって生活出来ない。産業も経済もストップ。そしてこの度の大震災。地震だけなら。津波だけなら。そう誰しも考える。原発が無ければより力強い日本が再生出来たのに。

 こうなってしまってから気付くのは余りに遅すぎる。でも、福島だけならと思う。これだけの事故を起しまだ原発で何とかしようとあがく人達の気持ちが分らない。そこまでして何の得があるの。

 油が倍以上に値上りして、これで車も少なくなる。これで世のスピードが落ちると期待した。でも落ちない。それどころか高速料金を千円にして無駄な車を動かせた。

 原発の事故で電気が少なくなる。そうすればスピードが落ちる。でもそうしない。何故。
 
 海水の温度が大幅に上り、大気の温度が大幅に上り、毎日の様に地球の何処かで天災が起っている。それでも懲りない人間は利口か馬鹿か。長いながい地球の歴史の中でたった半世紀でこの大切な地球環境を壊してしまった私達は重罪だ。私達にとってこの地球よりも大切なものがあるのだろうか。

 私はかしもむらに66年生きて来て、今の地球の危機的状況を毎日心配し乍ら仕事をしている。これを何とかしなくてはとずっと考え続けている。

 もう電気は要らない。

平成23年6月22日
かしもむら なかしまのりお
 

 もちろん電気を全否定しているのではないのです。そのへんを内田樹(たつる)さんのブログで説明してもらいます。

「相往来せず」どころか、中島工務店は全国展開している。
でも、それは資本主義企業の「右肩上がりの経済成長」とはめざすところが違うようである。
どうやら、中島社長は加子母における「自給自足」的な共同体実践を全国に「布教」するためにその企業活動を行っているように私には見えた。

(中略)

加子母の奧の渡合温泉(「どあい」と読んでください)の宿のランプの灯りの下で、中島社長は岩魚の骨酒を呷りながら、「もう電気は要らない」と呟いたからである。
誤解を避けるためにあらかじめお断りしておくけれど、中島社長のいう「電気は要らない」は電力の大量生産・大量消費システムを廃し、生活に必要な電気は自給自足する方がよいという考え方のことであって、それほど過激なことを言われているわけではない(現に、工務店の工場には電動工具がひしめいている)。

 もしよろしければこの会社の経営理念「中島工務店の想い」も読んでください。ありきたりの美辞麗句を述べず、社長さんが自らの来し方行く末について淡々と語りかけています。かっこうつけず実に人間的です。

 あ、そうそう 東北の被災地支援にも継続的な活動をしてくれています。

 「東北だより」

 私はいつも四つの階層でものごとを考えようとしています。それは「会社人」<「社会人」<「人間」<「生物」という階層です。これらは会社人=利益・経済、社会人=政治・法律、人間=個人・家庭・地域、生物=生命・地球という言葉と親和関係にあると思っています。

 いま私が思うのは、これらの階層がうまく重なり合っていればよいものが、特に「会社人」という層でばらばらになっている。私たちの多くが「会社人」の顔と「人間」の顔をふたつ持って生きているし、生きていかざるを得ない社会になっているというふうに思えるのです。これじゃ「人間のためのしごと」がどんどん貧しくなっていく。

 それで「みんなの独創村」をはじめたんです。「みんなの独創村って何?」にはその思いを書いています。

 しかし、今回はとても勇気をもらいました。、利益優先の傾向が強い経済界で、しかも全国展開している経済価値の高い会社が、同時に「人間の香り」を発しているのです。そして、それがこの会社の魅力にもなっているのです。

 私は思います。このような「人間的価値の創造こそ経営者のしごと」である。利益を追い求める犬になるのが経営者のしごとではない。と