テクテクノロジー革命

 「・・・テクテクと人間らしいペースで歩む科学技術、それがテクテクノロジーだ。」2008年、まるで今を予見するような対談集が出版されていました。藤村靖之さんと辻信一さんの対談集「テクテクノロジー革命」という本です。私の曇り空の頭の中に陽ざしが入ってきた感じです。

 藤村靖之さんという方は発明家です。私のブログ「月3万円ビジネスならできる」でも紹介しました。辻信一さんという方は文化人類学者です。

 まず前書きから。辻信一さんが書いています。

 テクテクノロジーとは何か。それはスローなテクノロジーのことだ。まずは、ドイツに昔から伝わる「魔術師の弟子」というお話をきいてほしい。

 魔術師の弟子になったフンボルトはある時、先生の留守中に覚えたての魔法をつかってほうきに水くみをさせようとする。自分でそうじをするのがめんどうくさかったのだ。働きはじめたほうきはせっせと井戸から水をくみ上げる。そこで、はたとフンボルトは気がついた。かけた魔法をどうやって解くのかをまだ習っていなかったのだ。ほうきがくみ上げ続ける水で家は洪水になってしまう。

 思わず「えっ?」思いますよ。「ほうきに水くみって原発のこと?」

 魔法をかける前に、どうやってその魔法を解くかを、魔術師たちは知っておかなければならない。では、科学者や技術者は、どうすればいいか。藤村靖之さんは、「悪いことが証明され、法律で禁止されたら、渋々やめる」日本方式と、「悪いとわかっていることをやらないのはもちろん、いいとわかっていないことはしない」スウェーデン方式を紹介したうえで、スウェーデン方式にしか未来はないと考える。

 日本ばかりではない。現代世界の科学技術の主流はこのスウェーデン方式にあらゆる面で反対し、抵抗してきたといっていい。・・・
・・・猛烈なスピードを維持し、さらに加速するのが科学技術の進歩であり、その一つひとつの安全性をじっくりと検証するためにペースを減速するのは大きな後退だ、というわけだ。

 藤村さんは自分の原則を、社会の趨勢に反してスウェーデン方式、つまり「いいとわかっていないことはしない」とした。それは安全確認のために多大な時間を割きながらゆっくりと進むスローなサイエンスと、スローなテクノロジーを選ぶことを意味する。テクテクと人間らしいペースで歩む科学技術、それがテクテクノロジーだ。

 スウェーデンにおける原発政策についてはこちらのブログが参考になります。
フクシマ以降のスウェーデンにおける原発議論(その2)

 まだ前書きからの引用です。

 人類存続を脅かす危機は深まる一方で、だがこの世のほとんどの人々の心に、来るべき世界のヴィジョンはいまだ現れていない。アインシュタインはこう言ったそうだ。

 「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(心の枠組み)のままで、その問題を解決することはできない」

 地球温暖化をはじめとする深刻な環境危機を前に、しかし、ぼくたちはいまだに、その危機を引き起こしたのと同じマインドセットで、問題が解決できるように思いこみ、ふるまっている。化石燃料がだめなら原子力で、石油がだめならバイオ燃料で、食糧危機なら遺伝子組み換えで、「経済成長」が問題なら「持続可能な成長で」、という具合だ。油まみれ、電気まみれのマインドにはヴィジョンは現れない。

 対談のはじめのテーマは「発明は必要の母」の時代というものです。

 辻:・・・歴史的に見ると、文明とよばれるものは例外なく滅びているわけですね。・・・どうして滅びたのか。ひとつには、それぞれの文明が、ある地域での、ある時代の中にあって、それぞれの「豊かさ」幻想に捕らわれていた、ということがあると思うんです。たとえば、よく言われるのは、木材をどんどん伐りだして、それによって得られる「豊かさ」を享受しながら、その恵みが永久に与えられるという幻想を抱えこむ。そうすれば、森がすべて伐りつくされたときに、幻想がつぶれるわけです。アメリカの先住民族の長老が、征服者である白人のやり方についてこう言ったと伝えられています。

 人間が最後の木を伐ったとき、
 最後の川を汚してしまったとき、
 そして最後の魚を焼いてしまったとき、
 やっとそのとき気づくだろう、
 お金は食べられないということを。

藤村:私たちの時代はあまりにも貧しかったから、その後、高度経済成長の時代に突入したときに、有頂天になってしまいました。寝食も忘れて働き、高度経済成長の担い手になっていったんです。なんの疑問も感じずに、充足感で邁進する、過労死が勲章みたいな時代です。

藤村:どこかで一線を越えてしまったんですね。昔は「必要は発明の母」だったのですが、それが「発明は必要の母」という言葉に代わってしまった。・・・つまり発明して無理矢理に必要を生みだすのですね。たとえばアップルコンピューターがi-podを発明した。3万曲収録できることがアピールでしたが、考えてみてください。1日1曲聴いたとしたら、一生かかかっても聴けないじゃないですか。そんなバカなもの誰が必要とするんだ、と最初は思った。ところがすかさずソニーが、わが社の機械は3万6000曲収録できる、と打ち出したんです。そうこうしているうちに、多くの人が必要と思いはじめて、競って購入する。これが発明は必要の母ということなんですね。

 あ〜まだこの本の10分の1しかページが進んでいないのにこんなに引用してしまった!今日は次の文章で終わることにします。(それにしてもたった19ページ分からの抜粋、これくらいで長いと感じる人々が多いなら、2050年頃の文学は俳句しか残らないのでは?)

藤村:そうです。必要を生み出して、経済をどんどん大きくしていく。科学者や技術者が力を発揮した時代ですね。私には、平和のために自分の科学技術をどう役立てるかというのが、基本的な哲学としてあります。けれど、どこかから、ひとつには分業化されすぎて、科学者・技術者たちは、全体像が見えなくなってしまった。もうひとつは、経済の力があまりにも大きくなりすぎて、それに飲み込まれ、つまり「発明は必要の母」に借り出されるようになってしまった。科学技術というものは、平和主義から外れてしまったらとても危険なものなんです。何が進歩かわかりませんが、科学技術が進歩すればするほど、平和主義に土台を置いた倫理観が追いついていかないと、おそらく人にはないほうがいいものになってしまうでしょうね。

 またいつか続きを書きます。なんとなれば、コンセプトがとても魅力的だからです。「愉しさ」「非電化」「ローカル化」「コピーレフト」などなど、そして一番書きたいのが「競争より感動」という章についてです。私はこの章でとても大きい希望が出てきました。ぜひ続きをお楽しみに!