森で育つ子どもたち

 島根県に「森の幼稚園」がありました!今朝のNHKニュースで放送されていました。先日、風力発電で有名なデンマーク・ロラン島の「森の幼稚園」を紹介しましたが、日本にもあるんです!とてもうれしくなりました。

一日いっぱい森遊びの幼稚園



 テレビに映る子どもたちが私の孫と同じ年頃なので、顔がほころびっぱなしでした。

 そこは、島根県智頭町森のようちえん「まるたんぼう」

 なんと!毎日4時間も森で遊ぶんです。行き先も、遊びも子供たちが決めます。ある日は行き先を決めるのに40分もかかったとか。

 映像を見ていてびっくりするのは、この寒い季節で、沢にころんだ子どもがいたんですが、先生たちは手を貸さずに見守っているだけなんですね!

 そうすると、まわりから年長のこどもたちがやってきて、落ちた子をなぐさめたり、世話してくれたりするんです。

 森の遊び場もはんぱじゃありません。洞窟やら、木の上やら、大人でも緊張する沢やら・・・。私たちの子供時代もかないません。これは今60代半ば以上の方々の子供時代ですね。たぶん。

 年に一回ある定例の山登りはなんと1100メートル以上の山に登るんです。一日がかりで登るんですが、泣いた子、遅れた子を助けたり、待っていたりする子どもたちをみて、自分が恥ずかしくなってしまいました・・・。

 こんな幼稚園が今、日本で百校以上もあると聞いてまたびっくり!年々増えているらしいです。うれしいな!

お母さんたちがとても熱心

 さて、ここからが考えるべきことです。

 このような子育ては「理想」だと思うんです。でも、なぜ世の中はその反対にばっかり進むんでしょう?

 私は今日の映像を見ていて強く感じたことがあります。

 それは、この子らのお母さんたちが、森遊びにとても熱心だということです。お父さんは映っていませんでした。

 同じような光景を見たことがあります。それは原発事故後、熊本に移住し、古民家をシェアハウスとして、自給自足的な生活を送るヤンママたちとその子どもたちの映像でした。「年3万生活」ホント?

 お母さんたちが新たな価値に目覚めたとき、子どもたちは大きく変わりうるのでは?ということです。


今「自然」や「農業」に暗い影が

 昔から、外遊び、自然は男の領分のようになっていて、お母さんたちは「あぶない!」というばかり。

 自らも都会暮らしとか人工的なものへの関心ばかりが高く「子を育てる=子を囲って守る」という潜在意識が強かったと思うんです。

 遠い昔は、女の人こそ野山でよく働いて、手も足りず、目も届かず、子どもらは自然と毎日「森の幼稚園」「森の小学校」に通うも同じでした。

 今、TPPやら原発事故やらで、かけがえのない「自然」や「農業」にとても暗い影がさしはじめています。

 もし、森が放射能に汚染されたら「森の幼稚園」はほぼ永久に終わるのです。

 山や海、農地が荒れはててしまえば、かつて、自然がどのようにわたしたちを育み、潤してくれたかを、未来の子どもたちが知るすべはなくなるのです。

 森の幼稚園を進めようとしている人たちが増えている反面、それとは反対のとんでもないことも、比較にならないスピードで進んでいるのが「今の日本」です。


野性の「母性」が自然を守る

 お母さんたちが自ら、もっともっと、人工的なものから自然への興味・関心を強め、生きものとしての野性的な感性をとりもどさなければこの世界は弱っていくでしょう。

 その子らはもっともっとひ弱になり、とんでもないものを平気で作る人に育っていくでしょう。

 原発は私たちの国だけの問題として止められます。TPPは黒船のようなもので、止めるのはとてもむずかしい。

 しかしTPPで世界が平準化していく中で、たぶんいったん失うであろう今までの良きことを、新たな価値観で、新たな地域つくりとして、再生できるのではないでしょうか?

 若き母親が自然の恩恵に目覚めて自らの野生を取りもどせば・・・。そのとき、「経済価値以外の価値」が姿をはっきりさせてくるのだと思います。

 男は何をするか? 相変わらず変なものをきりもなく作り続けていくでしょう。それを進歩だと思って。原爆やら宇宙船やらロボットやら・・・。

 女性は、最高のもの「ひと」を産みつくることができます。その最高のものを損なうことには反対する権利があるはずです。

 この世の暴走を食い止める力はきっと「母性」であると私は思うんです。

参考
 感動!ロラン島の風力発電
 森と風の学校 続編
 森と風の学校
 森と風のがっこう
 里山生活学校