電脳将棋王にショック!

 ボンクラーズに米長永世棋聖敗れる!将棋の公式対局で、はじめてプロ棋士がコンピューターに負けたらしいです。これは何か「驚くべき未来の序章」のような気がしてなりません。
以下、今朝の朝日新聞より抜粋します。

 将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが戦う「第1回電王戦」(ドワンゴ、中央公論新社など主催)が14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で行われ、米長邦雄元名人(68)が将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れた。公式の対局でプロ棋士がソフトに敗れたのは初めて。元名人は2003年に引退したが、永世棋聖の称号も持つ元トッププロ。ボンクラーズは昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝。毎秒最大1800万手を読む。

 対局は、後手の元名人が2手目△6二玉という前例のほとんどない手で力戦に誘導した。序盤は互いに手を出しにくい状況が続いたが、ボンクラーズが隙をついて攻め始め、そのまま113手で押し切った。持ち時間は一部の公式戦と同じ各3時間。対局はニコニコ生放送で中継された。

 米長元名人は「序盤は完璧だったが、見落としがあった。私が弱かった」と無念さをにじませた。

 米長元名人は詰将棋を解くなどトレーニングを積み、ボンクラーズと何度も対戦して対策を立てて臨んだが、及ばなかった。昨年末の前哨戦でも、ボンクラーズにネット上の早指し対局で敗れた。現役棋士はこれまで、公の場でソフトに負けたことはない。棋士とは別の「女流棋士」のトップクラスは一昨年、ソフトに敗れた。

 チェスでは1997年、当時の王者、ガルリ・カスパロフ氏がコンピューターに敗れた。取った駒を使える将棋はチェスより変化がはるかに複雑で、ソフトはなかなか人間に追いつけないでいたが、近年急速に実力が伸びてきた。来年の第2回電王戦では、現役棋士の船江恒平四段ら5人と将棋ソフト5チームが対局する予定。

 将棋だけは負けてほしくなかったです!

 というのは、コンピューターがいかに「性能」が高くても人間の直感には勝てないはず、それこそが人間の「能力」というものだ、と思いたかったからです。

 これだと人間でしかできないと思っていたことの多くがコンピューターでできる。それも近い将来に。そのとき一体どんな未来が現れるのでしょう?

 人間でしかできないこと「子を産むこと」(と誰もが考えます)

 これさえも、論理的にはそう言えないことであるようです。

 現代のコンピューターは、パソコンであれ、スパコンであれその原理はフォン・ノイマンが考えた原理(プログラム内蔵方式)で動いています。

 もう、60年以上前から原理的には同じなわけです。

 さてノイマンは「人工頭脳と自己増殖」という論文を1948年頃に著しています。副題は「オートマトンの論理学概論」となっています。

 簡単にいうと、「コンピューターは自分の複製(子)を生み続けることができる」という理論です。

 この論文で、論理的にそれを証明しているのです。

 ノイマンの先駆者でもあった同時代の英国の論理学者チューリングが思考実験した「チューリング・マシン(自己複製可能な計算機、人工知能を持った計算機)」を発展させた論文のようです。

 実はチューリングという人が、ボンクラーズ(今回米長さんを破った将棋コンピューター)のルーツでもあるようです。

(wikipediaより)
 1948年、当時まだ存在していなかったコンピュータチェスのプログラムを書き始める。1952年、当時のコンピュータは性能が低くそのプログラム実行には適さなかったため、自分でコンピュータをシミュレートしてチェスの試合を行ったが、一手打つのに30分かかったという。対戦相手は同僚の奥さんであったがプログラムは勝利している。

 コンピューターがまだ、リレーや真空管でできた巨大な化け物であったころから、その未来はとっくに予見されていた。というわけです。

 ということは、どんな未来が近い将来訪れるのでしょうか?

 今ハードウェアは二つの方向で爆走しています。

 ひとつはより高度な計算性能へ。

 もうひとつは人間そっくりのアンドロイドへ。

 この二つが融合するとどうなるか?

 人間そっくりの驚異的知力、体力の存在が誕生するのです。しかもそれは子を産めるのです。

 こういうことになっても、人間にはロボットにはできない能力や価値があるはずと思っていました。

 ところが・・・

 例えば「芸術」を考えてみましょう。これですら、人間の心理傾向分析、過去の芸術要素の様々な組み合わせ、イレギュラーなプログラムの挿入などで、ほとんど人間の芸術家がなしたと思わせる偉大(?)な作品も必ず生まれることでしょう。

 例えば「発明」。ジョブスは言いました。「私は(良い意味で)過去のものを盗んできた。(それを組み合わせた)」

 どんな発明というものも、何かの応用とか組み合わせでできるとされています。そういうことならコンピュータのほうがきっと得意となる時期も来るでしょう。

 人間の欲求分析とともに、過去の偉大な発明の発想プログラムが、膨大なデータ蓄積により進化していけば。

 ですから、「ターミネーター」も「ブレードランナー」も「ハル9000」もすべて、当時の偉大な科学者たちがまだ存命であったら、当たり前の未来と思ったことでしょう。

 「空想夢物語」ではもともとないわけです。

 私たちに残される栄誉は、最初に現実的な子を産むアンドロイドの親は「人間」であった、ということだけでしょう。

 アンドロイドは人間の経験がそうさせるように、痛みも涙も思いやりさえ持てることでしょう。そのように成長させるプログラムは困難ではないでしょう。

 怖いのは、アンドロイドがかつて人間が地球上でおかしたごとく、他よりぬきんでようと、他、つまり親である人間を抹消しようとすることです。

 そのような時が来るのはそう遠くないのでは、という予感を感じた今朝でした。

 そうような未来の可能性を現実的にイメージすると、「人間しかできないこと」、「人間だけの尊い価値」とはいったい何か、ということが突きつけられてきます。

 それを吟味することがなければ、私たちは有機体から無機体へ進化した(?)種族となってしまうでしょう。より高度なテクノロジーだけを求め続けた習性ゆえに。

 生命を「種の継続」という意味でとらえるなら、大宇宙の中、そんなこともあってしかるべきことではあるのでしょうが・・・。