私は「豆腐屋」にあこがれたことがあります。それは夏目漱石の「二百十日」という短編を読んだ頃のことでした。大荒れの阿蘇山に登る、へなちょこ「碌さん」と同宿の豆腐屋「圭さん」、その「圭さん」のバイタリティーにいたく感激したからでした。十代の頃の話です。
→夏目漱石「二百十日」
なんて単純な・・・
そうなんです。清流にあこがれて「わさび栽培」をしようと思ったこともありましたし。。。
さて、豆腐の話はこれで三話目になりますが、こんな記事が新聞に。
「河北新報」平成24年3月31日(土)
障害者の就労施設「古川とうふ店」が20日、大崎市古川稲葉にオープンし、涌谷町産大豆を100%使用した豆腐などの店頭販売を始めた。
運営会社は、まちのとうふプロジェクト(涌谷町)。同店は障害者自立支援法に基づいた就労継続支援A型事業所の指定を受け、障害者12入と雇用契約を結んだ。
店内では、同社が同じく運営する「涌谷とうふ店」で製造したあおばたおぼろ豆腐、にがり木綿、油揚げ、店内で揚げる豆腐ドーナツなどを販売。
大豆加工製品の大豆は、涌谷町産のミヤギシロメのみ使用している。
障害者の自立に加え、周辺の買い物難民の利便性向上を目指し、リヤカーの引き売りや車を使った移動販売もしている。
以前、「豆腐」にまつわるブログを二つ書きました。
私が住む涌谷町、ある日わが家に豆腐売りのリヤカーがやってきた・・・
チャルメラの音色とともに。
神奈川の福祉施設に勤めていた次女から電話があった。
わが宮城県の福祉施設に研修に来ているとのこと。そこではユニークな豆腐作りをしているから来てみて・・・
実は、今回の記事も含めて、これら三話は同じ福祉施設が関わったお話だったのです。
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さて豆腐話の前に能書きをひとつ。。。
私は常々思っているんです。
「仕事のために人があるんじゃない」
「人のために仕事があるのだ」と。
ところが、どういうわけか文明が進化?するたびに、仕事が減ってしまうのです。
もちろんIT関係など一部の産業では求人も増えてはいます。
しかし、特定の人しかできない、あるいはかなり高度な知識や技術が必要とされるものばかりです。
多くの人ができるような「ちょうどいい仕事」が毎年なくなっていくのです。
いい例が「ガソリンスタンド」です。
昔は、若くて元気のいい兄さんや姉さんたちがたくさん働いていました。
スタンドにはいろんな仕事があって、いろんなレベルの人たちが働けたし、そこで技術を学ぶこともできました。
今ではどこも「セルフサービス」です。
ガソリンを入れに来るのは、勤め先がなくてもどういうわけか立派な車を持っている「プータロウさん」たちです。
なんか変だな?と思わずにはいられません。
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一般の人たちが仕事さがしに大変ですから、ましてや障害を持った方々はさらに大変でしょう。
しかし、人間は「しごとをする生き物」ともいえます。
そこに喜びも悲しみも人生の豊かさもあるわけです。
ですから、どんな人にも何らかのしごとがなければ、不幸せな社会になっていくと私は思います。
福祉の仕事に従事される方々は、いつもそんな思いを強く持って、少しづつ様々な取り組みをされてこられたのだと思います。
最近になって気づかされることばかりで、私自身とても恥ずかしい気がしています。
さて、豆腐のネットワークは「はらから」という福祉施設が中心となって、民間の会社とタイアップしてユニークな展開をしているようです。
はらから福祉会→http://www.harakara.jp/index.html
HPを見ると、次のように書いてあります。
はらからにかけた私たちの願い
昭和五十四年四月、宮城県高等学校教職員組合の船岡養護学校分会は、障害者とその家族、教職員や地域の人々に呼びかけて「柴田町障害児者の問題を話し合う会」(略称・話し合う会)を発足させました
この話し合う会が現在の「はらから福祉会」の前身になりました。従って、はらからの考え方は「話し合う会」から、現在に至る活動の中から生み出されたものです。
養護学校の先生たちが中心となってつくった福祉法人だったんですね〜。
いろいろ考えさせられます。
経済界と教育界、経済活動と福祉活動、これらは別な原理で動く、あまり重なり合わない世界のように思っていました。
ところが、身近なところに、思わぬ重なりがあったわけです。
しかも涌谷町のおぼろ豆腐のように、後継者難などですたれゆく地場産業を民間企業とタイアップして復活させていくとか、実に多彩な提携で・・・。
豊かな経営企画といえるのではないでしょうか?
経済界に生きる会社経営者という者は、自社の利益、株主への還元ばっかりを手柄とせずに、こういう社会的価値の高い企画を生み出していくことこそプライドにすべきでは、と我ながら反省した次第です。