「一番じゃないとだめですか?」この言葉、かわいそうにずいぶんバッシングされたものです。蓮舫さんが微笑んで言えばよかったのかな?
「何を生意気な!小娘が」という「競争男組」の感情的反感もあったんでしょうね、世間には。今にして思えば。
その後予算は復活し、この時問題となったスパコン「京」は昨年世界一となりました。
ところが!その半年後には一位から速やかに転落。。。
→スパコン「京」が世界2位に 最速はIBM「Sequoia」
電光石火の技術競争ですから、それはしょうがないとして、「なんか残念だな。。。」と思う記事をかつて読んだ覚えがあります。
ネットで探したんですが見つけられませんでした。
記憶で書きますとこんなことでした。
「日本は、計算速度(だけ)世界一をめざすあまり、テクノロジーは旧来のままでシステムの巨大化だけでそれををめざした。それに反してIBMは省エネ、汎用性において画期的な技術で挑戦した。IBMは今回のコンテストでは結果的に遅れてしまい一位になれなかったが、両者の今後の可能性は驚くほどかけ離れてしまったことだろう」
そして、省エネ、コスト、汎用性で新しい可能性を開く技術で、IBMは半年後に一位を奪還したらしいのです。
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「かけ離れている」のも半端じゃないんです。
今一位のIBM「セコイア」は、開発コスト79億円で(諸説あるようですが)、コスト1120億円の「京」の倍の性能らしいんです。
→http://foobuzz.seesaa.net/article/275999284.html
→http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/577.html
さらに「京」の電力消費量には圧倒されてしまいます。(電力消費量はいまだにダントツの世界一だそうです。。。)
京コンピュータの消費電力は最大20MWと想定して施設が作られている。これは最大値であり実際の消費電力はもっと少ないが、仮に、24時間×30日間、 20MWを連続して消費すると、14,400,000kWhとなる。標準家庭の消費電力は1カ月で300kWh程度であるので、これは4万8000戸分に相当する。
→http://news.mynavi.jp/articles/2012/04/18/kei_infrastructure/index.html
このスパコン一式のために原発一基必要という感じです。。。
そもそも発想がヤバかったんじゃないですか?
会社なら「独創なき規模拡大」、産業なら「重厚長大偏重路線」、生物界なら「絶滅恐竜のような巨大化」
もういやというほど悲哀を味わった「いつか通った道」じゃないですか?
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今今の一位をめざすより、後に続く可能性の高い「独創的な二位、三位」のほうが良いのじゃないかと私は思うんですが。。。
どうして、みんなで「一番じゃないとだめですか?」を揶揄したんでしょう?
居酒屋のオヤジも蓮舫氏を小馬鹿にしていましたよ。あの頃。
蓮舫氏も言葉が足りなかったのでしょうね。
こんな言葉を付け加えればよかったのにな。
「後に続く可能性を求めるプロジェクトに変更できないものでしょうか?」
「省エネや汎用性、低コストなど別な面での一位を目指した方がよいのでは?」
だって、こういう方向こそが「日本が切り開いてきた貴重な道」じゃないですか?
「一位になれるから予算が付けられる」というしくみが、そもそもおかしいんでしょうね。
予算付ける人も、研究する人も、競争社会で勝ち残ってきた人たちだけですから、そういう発想から逃れられないのでしょう。
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今の学校教育からして同じような感じです。(昔からだな。。)
「東大に何名合格しました」とか、まるでスパコンの一位競争の感があります。
地元にはそんな垂れ幕を屋上から下げている私立高校もあって、いや〜な気持ちになります。
ですから、中学は高校の、高校は大学の、大学は会社の予備校になりさがっています。
本当は最終学歴だけでなく、小学校は○○、中学校は○○、高校は○○という、それぞれの固有価値も大事なはずです。
今や(昔から?)、「最終学歴以前の学校」の存在意義がとても薄れています。
話は少しずれましたが、「画一的な競争社会」につながる感じがして書いてしまいました。
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思い切って、あらゆることにおいて「一位以下をめざす方針」というのはどうなのでしょうか?
それは、「創造性」「多様性」を大事にする社会への転換です。
たとえば「学生」なら成績一位を絶対に避ける。とすれば何を求めるか?
たとえば「企業」なら売上一位とかシェア一位とかは絶対に避ける。とすれば何を求めるか?
たとえば「国」なら経済力一位は絶対に避ける。とすれば何を求めるか?
たとえば「エネルギー」なら効率一位は絶対に避ける。とすれば何を求めるか?
とても頭を悩ますはずです。
しかし、そこに未来に笑顔を与える「独創」が数多く花開いていくのではないでしょうか?
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茨木のり子さんの詩『落ちこぼれ』の一節のごとく、そろそろ善き「開き直り」が必要ではないでしょうか。
落ちこぼれ
結果ではなく落ちこぼれ
華々しい意志であれ