尖閣の詳しい話

 尖閣問題は少し沈静化してきたように見えます。しかし火種はかえって勢いを増してくすぶり続けています。そんな折、落ち着いて少し詳しく調べてみたいと思いました。

 朝日新聞が10月30日と31日の朝刊で、尖閣問題についてかなり力を入れた特集を組みました。

 自国に有利な一方的な記事だけを読んでいては判断を誤ります。

 歴史や国際法などををよく知る必要があると思います。

 この特集記事は、今後の自分自身のデータベースとして、このブログに残しておこうと思います。

 記事を読んでいて「大事な観点」だと思ったことがありましたので引用します。

ジョン・ダワー氏(戦後日本を研究する米国の歴史家)

「尖閣諸島についても、中国側は講和会議当時、領有権の主張をしていますが、米国は無視しました。現在の中国は国内にいくつも問題や矛盾を抱えており、怒りや不満の矛先を日本に向けさせるよう領土問題を利用したのは明らかです。ただ、尖閣についての主張は荒唐無稽とまでは言えません。また、あえて中国を刺激した勢力が日本側にもいます」

栗山尚一氏(元外務事務次官)

武力を使わず国際紛争を解決するには、三つの選択肢しかない。一つは外交交渉。それが困難なら司法的な解決を求め、どちらもだめだと棚上げ、先送りしかない。日中双方とも現状を変えずに凍結する努力が要り、そのための外交交渉は必要だ。

 「武力を使わずに解決する方法しかない」と考え、徹底することが大事だと思います。

 ここにしか「日本、いや世界の生きる道」はないと思います。

 この苦痛と「闘う」ことにしか、「日本の独自価値」を創り出す方法はないと思います。

 際限のない脅かし合いは際限のない軍拡をもたらします。

 軍拡は、戦争で決着を!という声に後押しされていきます。間違いなく両国の国民から。

 「戦争に征かない人」が戦争を後押ししてはいけないと思います。

尖閣問題データベース

(各見出しをクリックすると詳しい内容を読むことができます)

1.なぜ、まだ領土問題なのか

 ジョン・ダワーさんに聞く なぜ、まだ領土問題なのか
(戦後日本を研究する米国の歴史家)

 あの碩学(せきがく)も、日中、日韓の高まる緊張に胸を痛めていた。東アジアの領土問題はなぜ、戦後70年近くも解決しないのか。日本の戦争責任はなぜ、こうも繰り返し問題となるのか。「サンフランシスコ・システム」、「歴史と記憶」。40年以上にわたって日本の戦後を見つめてきたジョン・ダワー氏は、二つの鍵となる言葉を示した。

2.〈近代以前〉日本「無主だった」、中国「文献に根拠」

 尖閣諸島とは、東シナ海に点在する五つの島と三つの岩礁を指す。いずれも沖縄県石垣市に含まれ、最も大きい魚釣島の面積は約3.8平方キロメートル。諸島すべてを合わせても5.5平方キロメートルほどの、小さな無人島の集まりだ。

3.〈明治〉日清戦争中に編入 1909年に人口248人

 日本政府は1895年1月、尖閣諸島を領土に編入することを閣議決定した。85年から慎重に調査し、どの国の支配も及んでいない土地(無主地)だと確認したうえでの決定で、「国際法上で領有権取得が認められる『先占』という方法に合致する」との立場だ。

4.〈終戦後〉米の占領下では異議なし

 1945年8月、日本はポツダム宣言の受諾を決め、敗戦した。宣言では、日本が「盗取」した満州(中国東北部)、台湾、澎湖島などを「中華民国に返還する」とした、43年のカイロ宣言の履行を求めた。

5.〈国交正常化〉中国「棚上げ合意」、日本は否定

 1972年9月。日中国交正常化交渉で北京を訪れた田中角栄首相は、周恩来首相との会談で、唐突に尖閣問題を切り出した。昨年12月に外務省が公開した外交文書には、こうある。

6.〈現在まで〉1992年、中国が領海法で明文化

 日中平和友好条約の締結後、中国側は尖閣諸島の領有権は主張しつつ、「棚上げ」の立場から日本の実効支配を黙認。1980年代は、尖閣問題がおおむね沈静化した時期だった。

7.中国が進出を図る狙いは

 尖閣諸島は中国からみると、戦略的に重要な場所にある。1982年に内部決定した海軍海洋計画では、沖縄、台湾、フィリピンにつながる島々を「第1列島線」と位置づけた。尖閣諸島や南シナ海は第1列島線より中国大陸側にあり、中国はこのエリアの制海権を確立して「内海」化する戦略だ。

8.日中の識者、どう見る

■栗山尚一氏(元外務事務次官)
 1972年の日中国交正常化交渉に外務省条約課長として臨んだ。私は同席しなかったが、田中角栄首相が持ち出した尖閣問題について、周恩来首相が「今はやりたくない」と言い、田中さんもそれ以上追及しなかったと説明を受けた。棚上げ、先送りの首脳レベルでの「暗黙の了解」がそこでできたと当時考えたし、今もそう思う。

9.尖閣諸島をめぐる日中史

1884年3月
古賀辰四郎氏が尖閣諸島を探検。翌85年、沖縄県令に久場島の開拓許可を申請

10.尖閣問題をめぐる発言録

■井上馨外務卿(1885年10月21日、山県有朋内務卿あての書簡)
 「清の新聞が自国の領土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどとの風説を流し、清の政府や民衆が日本に猜疑心(さいぎしん)を抱いている。こんな時に久場島、魚釣島などに国標を建てるのはいたずらに不安をあおるだけで好ましくない。国標を建て開拓等に着手するのは他日の機会に譲るべきだ」

11.尖閣問題に関係する条約・宣言

●下関条約(1895年=日清戦争の講和条約)
・清国は台湾全島及びその付属諸島嶼(とうしょ)を割譲する

12.尖閣諸島をめぐる参考文献

【尖閣諸島をめぐる参考文献】
・「記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉」(岩波書店)石井明、朱建栄、添谷芳秀、林暁光編

参考
 (尖閣諸島の話題が入ったブログ)
 不自由こそ幸せのもと
 茨木のり子「聴く力」
 あこがれの強き国
 イノキ対シンタロウ
 人の顔が見えるシステムへ
 尖閣ひょうたん島
 悪意の対話者
 シンタロウの子供時代
 2100年のマルコポーロ