年寄りはタイムトラベラー

 歳をとればとるほど価値が増す。それがこの世の真理のはず。ところが多くの人はそう思っていない。そこに不幸があるのでは?


(「時代」をありありと感じさせてくれます)

 識者といわれる方々がいます。

 その種の方々は、凡人の私などとは比較にならないほど、あれこれ見聞が博いものです。

 飛行機に乗って、諸外国にも何回も出かけていることでしょう。

 ところが!

 いくら優秀な識者でもお年寄りにはかなわないんです。

 なぜか?

 お年寄りが過ごした(過去の)時代を決して経験できないからなんです。

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 ほとんどの人は、「世界」を「横拡がり」にとらえます。

 まだ見ぬ諸外国、まだ見ぬ風景、まだ食べていない料理・・・。

 自分の周りに水平にそれらの未体験ゾーンが拡がっていると意識しています。

 ところが「縦拡がり」の「世界」だってあるんです。

 それが「時代」です。

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 ほとんどの人は「時代」を「瞬間」としてとらえます。

 「過去」は過ぎ去ったもの、かすんだもの、価値を失ったもの・・・。

 自分の生きる「今」だけがカラーで、過去は「モノクロ」のように意識しています。

 ところがどの時代も実は「カラー」だったんです。

 いや、いつでも「カラー」であるべきなのです。

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 どうして?

 まだ見ぬ「過去」は、驚くほど豊かだからです。

 あるいは驚くほど悲惨だからです。

 まるで初めて見る外国の風景のように

 まるで初めて経験するいくさのように

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 過去の時代を経験したお年寄りは、その後の世代の誰も真似できない「タイムトラベラー」なのです。

 「横拡がりの世界」は自分で見れば、知ればいい。

 しかし「縦拡がりの世界」は、タイムトラベラーに聞くしかない。

 聞いて感じるほかしかない。

 そこから、今の時代にどう応用するかを考えることが大事なんだと思うんです。

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 タイムトラベラーに話を聞くのがもっともいいんですが、どんどん異次元旅行へ旅立っていきます。

 しかし、ありがたいことに、タイムトラベラーは「旅行記」を残してくれています。

 それが「本」というものです。

 時代のフィルターで濾過された「古典」だけが今も残っているのです。

 今、この時代の感性で書かれている本を読んで得られることと、タイムトラベラーの本を読んで得られることには大きな違いがあるはずです。

 タイムトラベラーの話や本は、鏡のように今の私たちが住む時代を、私たち自身にくっきりと見せてくれることでしょう。

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 こんなことをかくきっかけとなったのは、あまりにも劣化した(と私が思う)IT機器やそのしくみに日々憤りを感じるからです。

 「何とかエイト」の劣悪な設計思想や、オモチャをばらまいたような携帯、スマホのソフト群・・・

 ますます小さく、使いづらくなる家電製品群・・・

 仕事も遊びもごちゃごちゃの「幼稚化迎合設計思想」・・・

 「えっ? 工夫が進んでいるでしょう?」と思う若人は自分も歳をとったらよくわかることでしょう。

 開発する人たちの幼さ、何とも思わず慣れようとする人たちの哀れな感性の貧しさ、・・・

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 何を言いたいかって?

 貧しき設計コンセプトを、豊かな設計コンセプトに変えてほしいということなんですよ。

 貧しきコンセプトとは「若者、幼き者」への過度の「迎合」です。

 豊かなコンセプトとは「老人」「弱者」「過去」への「敬意」と「親愛」です。

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 何を言っているのかわからないという同世代の人も多いかと思います。

 でも、いつかそう感じる日がやってくるはずと私は思います。

 IT業界で暮らす私でさえ、日々このような思いが募ってくるんですから。

 やはり高齢者デザイナーが多くないとだめだな〜

 そういう方々が力を発揮できるよう、支援する道具としてもっともっと「IT」がお年寄り向けになっていかないとだめだな〜

 タイムトラベラーの見聞こそ「宝」という意識をもたないとだめだな〜

 今は、実に大きな「宝の持ち腐れ」社会ですよ。

 だから「悲惨」を繰り返していく。。。

参考
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