証券会社のコマーシャルを見て違和感を感じました。株式は「生き物」である?そういう誤解が今の時代を不幸にしているのでは?
ある証券会社のコマーシャルを偶然見ました。
→http://www.youtube.com/watch?v=DgbYSMtnNX8
『人が動き、人が働く そのエネルギーが 国から国へと巡っていく まるで血液のように 経済はこの星の体温でもある』
静かな語り口でテンポもよく、作品としては出来がいいコマーシャルではないでしょうか。
でも私は首をかしげてしまいました。
「えっ!経済は肉体の延長だと言ってるのか?」
もちろん制作者は「たとえ」のつもりで使っているのでしょうが、実は多くの人々が何の違和感もなく「そのとおり」と受けとめているのではないでしょうか。
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このような(私たちの無意識的な)認識こそが今の世の不条理をつくっているように思うんです。
さらに「性能」の高いエリート層ほどその認識になじんでいるように思えます。
だから世の中がその方向へ進んでしまいます。不幸なことです。。。
「経済は肉体の延長である。だから何よりも大切である。それなくして人は生きられない。経済を失速させることは死を意味する」
このような認識に立てば、次のような言葉が続くことでしょう。
「(現状の)経済のエンジンである「原発」はどのようなことがあっても止めるわけにはいかぬ」
「戦争だって経済を維持するための必要悪である」
「今いまの経済を維持することが最優先である。だから多少の?犠牲はやむを得ない」
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結局、人間の健康・安心・安全・未来よりも(現状のままの)経済活動が「経済という生命を維持するために」優先するということになります。
本来人の幸せのために、その手段として生まれた経済が、巨大化し加速しそのもの自体が生命とみなされるようになったわけです。
本末転倒、しかし人はそのことにあまり気づかなくなってしまいました。
お金(や電子マネー)だけを経済と考えればきっとこうなるんでしょうね。
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断崖に向かうレミングの集団のように(知らずに)破滅に向かう私たち人類の集団。
食い止められないまでも、せめてブレーキをかけ続けなければ何のために生きているのかわかりません。
過去の歴史から、今とは別な「安心であたたかい多様な経済」を再発見しなければいけないと思います。
小さくてもいいから、様々な場所で多様な種を育てねばと思います。
そうしないと映画『マトリックス』の世界みたいになってしまうことでしょう。
コンピューターに飼われ、「電脳空間という幻」の中で生きる人類に。
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コマーシャルは無意気に私たちの「囚われ」を映し出してくれるようです。
こんなコマーシャル(↓)が出ないと実にマズイ。。。と私は思います。
「株式は生き物じゃない、生き物とは生き物だけだ!」