ブログっていいもんですね〜。今や自分自身を映す鏡を毎日拭いているような気がしています。ま〜、毎日書いているとネタ探しにシンドイときもありますが。
ブログはtwitterやfacebookというライバルを得て、そのポジションというか、存在意義が明確になってきたように思えます。
(ウジェーヌ・ブーダン作「港へ戻る帆船、トゥルーヴィル」1894年)
facebookとブログについて、私は次のようにたとえてみました。
漂流を愉しむ船 母港に帰る船
facebookは漂流を愉しむ船
ブログは母港に帰る船
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果てしなきネットの海原には
帆を風にまかせた船、船、船・・・
大海原を漂流している船は
気楽な日々ではあるが
時折ふと感じる 寂しさと空しさ
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母港に帰る船は 魚群を探し
海原に目をこらす
目的を持つ彼らは 多少偏屈だ
やがて母港に帰り
釣果をおろすとき
いつも思い知らされる
わが力 いまだ不足なりと
漂流好きと母港好きの二派がネットの海原には存在するようです。
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ブログのメリットについて考えてみました。
一番のメリットは、自分自身の成長にとても有益であることです。
ブログを書くことによって深く思索することができます。
もちろんtwitterやfacebookのように、コミュニケーション重視でタイムリーな話題をサラッと書くのもありでしょう。
しかしブログというものは、お堅い話題でもエッセーでも自由に書くことができます。
それゆえ、自分自身の考えを深化させるにこれほど適したツールはありません。
ついでに表現力も大いに磨くことができます。
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もう一つのメリットは、書いたブログが未来に遺す「作品」または「コンテンツ」になりうることです。
タイムリーな話題、軽いコミュニケーションを目的とした文章は風のように過ぎ去って行きます。
しかしブログには風に流されない情報、つまり「作品」がたくさん生まれるのです。
風に流されないとは、過去に書いたブログが今、未来でも読む価値を持っているということです。
読む価値があるとは、自分自身はもとより読者に反省や示唆、希望を与えるものが豊かにあるということです。
文学にしろ美術にしろ(良質な)「作品」というものは時の流れに浸食されないものです。
「作品」という資産が増えていくこと、それらが自分に再び刺激を与えてくれることはなんと贅沢な喜びでしょう。
(そのような作品をいつか生み出せるように日々修行中です。。。)
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もちろん他のSNSがブログのように出来ないということではありません。
それは、たとえば日常生活において、同じ「切る」にしても包丁やナイフ、カッター、はさみと様々な道具があるように、より適するものがあるということです。
twitterやfacebookが長い文章、思索的な文章にあまり向いていないように、ブログはタイムリーな情報交換とか仲間を増やすということには向いていません。
ですから、それぞれの目的に従った一番適するツールを使い分ることが必要だと思います。
あるいはそれらを組み合わて使うこともいいなと思っています。
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ブログはこれから『自分史』として進化していくかもしれません。
ブログを原稿ファイルとして、それをもとに専門スタッフとともに編集すれば『自分史』の本も出版できるでしょう。
「みんなの独創村」仲間たちは、『人生アルバム』制作を主要な事業にしていきたいと、あれこれ企画を練っているようです。
ということで、ブログ派の私もブログの新境地をいつか開拓したいものだと思っています。