痒い社会、痛い社会

 小心者のわたくしは、最近テレビニュースや新聞はちょっとしか見ません。毎日のように「過去」へ帰っていくようなお話しばかりで。。。
 ちょっとだけ天野祐吉さん口調で書いてみます。


ノボ村長の世相天気図

 歴史は繰り返すっていうけど、ホントそうだよな〜、と思う今日このごろ。

 政治は大きく右旋回で、せっかく大事にしてきた「平和」の縛りが、あれよあれよという間に、勝手に解いたり緩められたりしているんだもんね。

 なので、テレビニュースや新聞を、まるでホラー映画を薄目を開けて見るような、そんな心境になってしまった。

 いったいそれって僕だけなんだろうか。

 しばらく前までは僕だけじゃないと思っていたけど、今はちょっと違う。

 もしかしたら、国民の大多数が与党と同じ気分になっているんじゃないのかな〜と思えてきたんですよ。

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 国民をそんな気分にさせたきっかけは、やっぱり「尖閣」「竹島」だろうな。

 そこに追い打ちをかけるように、どういうわけか「慰安婦問題」がクローズアップされてきた。

 そういう風潮にうまく乗っかって、戦前の政治家のお孫さん政治家たちは「憲法改正(悪?)」やら「憲法骨抜き」やらをあっというまに進めている。

 マスコミとの共同作戦かもしれないね。

 ということで、「右的左」「左的右」である国民大多数は積極賛成ではないけど反対もしていない。

 つまり消極賛成が大多数というふうな社会となっている。

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 こういう社会現象って僕には心理学的問題に思えるんだな。

 とってもわかりやすくいうと「痒(かゆ)い社会」になっているんじゃないんだろうか。

 僕は今の時期、お風呂に入ると足が痒くて痒くてたまらない。。。

 一旦掻いてしまえばますます痒くなるし、結局痛みが出るまで痒みは鎮まらない。

 そこでじっと我慢しようと思うのだが、あ〜〜掻いたらどれだけすっきりするんだろうという欲求が神経をさいなむ。

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 これって、日本っていう国の今みたいだなって思えるんですよ。

 中国や韓国にいつまでも戦争責任をいわれ続ける、それもおおげさに。さらに領土まで。

 しかも外国にまでさんざん宣伝されて、日本が侮辱されているように思う。

 それがどうにもこうにも我慢できないっていう気分は、僕にもよくわかる。

 だからやっぱり痒いんだよね〜、みんな。

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 それじゃこの痒いのをどうしたらいい?って話なんだけど、自分の体で考えてみるとこうなる。

 まずは「我慢」。

 これは、過去の実例を思い出して論理的に考えないとできない。

 「掻けばますます痒くなる、ついには血が出て、さらには化膿する」とね。

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 つぎは「代替療法」

 たとえば水をかけるとか。

 これは、効き目が弱いから結局掻くことにつながりやすいね。

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 もっとある。

 「気晴らし」

 これは痒みを忘れるように風呂で歌を歌うとか。

 気晴らしのあれこれノウハウを持っている弾力的な人ならけっこういけそうだね。

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 「風呂から上がる」
 
 風呂から早く上がって薬を塗るとか、風呂に入るのをあきらめて温タオルで体を拭くとか。

 たぶん有効なのは、「我慢」をベースにした合わせ技なんだろうな。

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 まったくもって痒いのは神経にさわって煩わしい。

 でも考えてみれば「痒い社会」は「痛い社会」よりはましじゃないかと思える。

 人は「痛み」にあったら百パーセントその「痛み」から逃れようとする。

 我慢なんて簡単にできるもんじゃない。

 もし「痒み」がいやで「痛み」を代わりに得ることになったらどうだろう。

 自分の体に置き換えて考えてみるといい。

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 もうひとつ大事なのは、自分も痒いけど向こうも痒い(あるいは痛い?)ってことだよね。

 これは国と国だけじゃなくて、国民と政治家という両者にも当てはまる。

 どっちも誰でも痒いんだよね。

 過去のトラウマやプライドや思い込みや世界観、人生観でどうにもならない「痒み」をみんな抱え込んでいる。

 それが熱いお風呂みたいな場所で発症するんだな。

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 掻いた後に来る痛みを思い出せなくなってきたので、みんなブレーキに懐疑的になってきた。

 「我慢するな、痒いところは掻いて痒みをとれ!自分の体じゃないか!」

 でも僕はまだ掻きむしった後の痛みをよ〜くわかっているので、毎晩お風呂で必死に我慢してるんだな〜

 正直言うと、時々掻く誘惑に負けちゃうこともあるから、あんましエラそうなこと言えないんだけどね。

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 さ〜締めますよ。

 「痒い社会」は理性さえあれば我慢できる、「痛い社会」は誰も我慢できない。

 今の政治が、昔に帰ろうとしているのは「痒い」ところを掻くのと同じじゃないのかな。

 その次に来るのは絶対「痛み」だと僕には思える。

 だから痒いのを必死にこらえることこそが大事じゃないのかな〜。

 我慢は大変だけど、我慢していると痒みもだんだん引いてくる。

 それに我慢をすることは人間としての「美徳」だと思うし、それを解ってくれる人(や国)もきっと多いはずなんだ。

 僕たちは、掻いた後の痛みについてもっと知ろうとすること、想像することが必要なんだと思う。

 今は我慢できない「痒み」だって、季節とともにきっと鎮まるときが来るはずだし。

 →女のはなし、男の話
 →天野祐吉「霊界天気図」