公園の石碑にふと思う

 10日ほど前のことですが、天気がいいので会社近くにある公園で昼食を食べました。そこにある石碑を見てふと考えさせられました。
 会社から自転車で5分、荒雄神社と隣接して荒雄公園があります。

 桜がきれいな公園で「展望あずまや」「茶室」などもあります。

 その公園と隣接して、郷土の偉人吉野作造の研究・資料館である「吉野作造記念館」があります。

 私はここに来たときはいつでもこの記念館の前にあるベンチに腰掛け、おにぎりやパンをいただきます。

 目の前では、ちっちゃな子どもたちがお母さんと一緒に遊んでいます。

 ベンチのそばには石碑があります。

 先日、じっくりと読んでみました。

 「核兵器廃絶 平和のまち古川市宣言」

 昭和60年に制定されたようです。

 その頃はまだ合併前で、今では古川市は大崎市と名前が変わっています。

 今では「核兵器を持つべき」などと、平気でのたまわる政治家がとても多くなりました。

 石碑が何か寂しく見えてしまうのは私だけでしょうか?

 この公園にはこんな鉄のオブジェもあります。

 オブジェの下にはこんな石版がありました。

 「平和の碑 私たちは戦争を繰り返しません」と書いてあります。

 この石版にも暗い影がかかっているような。。。そんな気がするこの頃です。

 これらの石碑、石版が設置された頃はきっと、保守革新に関わらず「戦争」や「核兵器」への忌避感は今よりはるかに強かったことでしょう。

 少なくとも地方においては。

 いったいなぜこんなにも変わってしまったのか。。。

5/4河北新報より

加藤紘一インタビュー「憲法のゆくえ」

 −政権は支持率が安定している。今の社会や世論の変化をどう見るか。

 「戦争への反対勢力はぐんぐん減っている。第2次世界大戦後、地域社会の保守系無所属層は腹にずしんとくるほどの決心を持ち、自民党のリベラル保守を支えていた。どんどん存在が薄くなっている」

 −国民政党を掲げた自民党は変質したのか。

 「左右のバランスが悪くなり振り子を戻す力が失われた。(会長を務めた)ハト派派閥の宏池会など(の存在感)がなくなったとされるが、社会全体からハトが消えてしまった。党内はネット右翼の台頭を歓迎する政治家が元気になっている」

 −日本全体を包む右傾化の本質とは。

 「戦後のナショナリズムは三つあった。スポーツや学力などで世界トップを目指す競争と、自らの根本を見つめる誇り。この二つが後退し、闘争するナショナリズムばかり際立っている」

 「日本は韓国企業に敗れ、中国のGDP(国内総生産)に目を丸くしている。自信を失った国は歴史上、隣に敵をつくってしまうものだ」

 −揺れ動く憲法の問題は、中韓など国際関係の火種になっている。

 「戦後、日本への信用が築かれたのは憲法9条によるところが大きい。条文を超え、近隣諸国や米国に対する日本の平和外交宣言の基本になっていた。長年貫いてきた理念と積み上げた信頼を今、壊すべきではない」

 −将来に向けた処方箋を何に求めるべきか。

 「日本は近現代史を学んでいない人が、社会の枢機を担っている。ジャーナリストも現状を描写するだけで真相を書き切れていない。歴史を直視し、勉強し直す必要がある。自民党も、地域の多様な声を束ねた原点に立ち返ることが欠かせない」

 みんな右だらけ、右ならえの政界です。

 振り子が振り切れてしまうまで、私たちは待たねばいけないのでしょうか?

 今となっては、地方の保守系議員のバランス感覚に期待する以外ありません。