「安全」という出発点

 ルーツを探していくことはとても大事なことに思えます。文明の技術はすべて安全への欲求に由来しているようです。
 今読んでいる本はとてもワクワクします。

 『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(スティーブン・グリーンブラット著)

 ルネサンスのきっかけとなったのは、一五世紀に生きたイタリア人ポッジョという人物が発見した一冊の本であったという実話です。

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 ポッジョはすぐれた筆写人であり、教皇秘書という中世カトリック社会の中心人物でもありました。

 ブックハンターであった彼は、ドイツの田舎にある修道院図書館で運命的な本を発見します。

 ルクレティウス著『物の本質について』という本です。

 この本の現世思想、人間中心思想がボッチチェリ、ダ・ビンチ、ミケランジェロ等をインスパイアーし、ルネサンスのきっかけとなりました。、

 さらにガリレオ、ニュートン等の近代科学、モンテニュー、セルバンテス、ベーコン等の文学や思想を準備する出発点となったというのです。

 ルクレティウスは今から二千年前のローマの詩人であり哲学者でありました。同じ頃カエサルがいました。

 彼はその三百年前に生きたギリシャの哲学者「エピクロス」の忠実な継承者であったようです。

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 エピクロスは「快楽主義」哲学者として有名です。(エピキュリアン「快楽主義者」)

 「快楽主義」という訳語は、実は適切ではありません。

 エピクロスは「心の平安」こそを理想とし、実に質素な生き方を説き、またそのように生きた哲学者であったようです。

 ところが、政治的状況、神学的状況が災いし、エピクロスの三百冊とも言われる著書はまったくといいほど残っていないのです。

 彼の思想を知る唯一のよすがが、エピクロスの三百年後に現れたルクレティウスの詩『物の本質について』だったのです。

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 さて、その本がルネサンスを準備したというのは「快楽主義」という思想ではなく、その出発点となった宇宙観、世界観です。

 それは「原子論的唯物論」であり、驚くほど私たち現代人の(自然科学的)認識に近いものでした。

 古代ギリシヤの哲学者レウキッポス、デモクリトス、エピクロス等に共通するその思想は、近代科学を準備し、人間中心主義として現代に連なる思想のルーツでした。

 対極にあったのはプラトンやアリストテレス等であり、スコラ哲学(中世神学)そして観念論哲学へと連なっていきました。

 ルクレティウスはじめエピクロス学派の最大の特徴は来世を否定しているということです。

 このことが「来世の処罰を逃れる生き方をせよ」という中世カトリック教会の暗黙の脅迫にも似たくびきをはずし、現世の幸福を追求する思想の萌芽となったのです。

 もちろん、中世宗教世界の閉塞感が限界にきていたという時代背景もあってのことだったでしょう。

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 『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』の著書はシェークスピア研究の世界的権威とされる米国の学者です。

 中世という時代の周辺知識の豊かさは、まるで私自身がその社会に生きてその雰囲気を味わっているような臨場感がたっぷりです。

 こんなおもしろさは司馬遼太郎『空海の風景』以来です。
 
 世界史の年号暗記で「イヨイヨ始まる公会議」と覚えた1414年に始まるコンスタンツ公会議の様子など、ポッジョが教皇秘書だったこともあり、まるで映画のような(世俗的な)おもしろさです。

 異端の弾圧など暗黒時代のごとく思われるこの時代ですが、ポッジョはじめカトリックの中枢にいた人物たちが教会内部の不正や堕落を中傷揶揄した本を書くことが許されていたり、思わぬ寛容さも併せ持っていたとは驚きでした。

 かく言うポッジョも愛人との間に息子が12人、娘が2人いて、さらに56歳で18歳の花嫁をめとり6人の子供をもうけたというのですからその絶倫に脱帽です!

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 さてカトリック教会の権力争い、堕落、残虐にほとほと愛想を尽かした主人公ポッジョは、会議の途中自らを救うかのようにブックハンティングの旅へとぬけだしました。

 そこでとてつもない本を発見することになったのでした。

 その発見が、カトリックの中枢にいながらその世界(来世)を否定する著作であったとは実に運命の皮肉でした。

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 さて本の後半にルクレティウスの思想を著者が要約した文章が載っていました。

 その中に私がハッとした文章がありましたので引用します。

文明の技術

 文明の技術−どこかの天の立法者から人類にあたえられたものではなく、種が共有する才能と精神力によって苦労の末に作りあげられたもの−は、祝福に値する偉業ではあるが、純粋にありがたいものとは言えない。

 それらは神への恐れ、富への欲求、名声と権力の追求などと同時に生まれたものである。

 文明の技術はすべて安全への欲求に由来している。

 その欲求は、自然界の敵に打ち勝とうと奮闘していた種としての人類のごく初期の経験にまでさかのぼるものだ。

 その激しい闘争−人類の生き残りを脅かす野獣たちに対する闘争−はおおむね成功したが、不安で、貪欲で、攻撃的な衝動が広がってしまった。

 その結果、人類特有の現象として、武器を開発し、それを自分たち自身に使用するようになった。

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 いかなる残虐な兵器、それが原爆であっても、それらはすべて「安全」を求める気持ちから生じてしまったもの(鬼子)だ、というふうに解釈できます。

 私たちは「戦争」を「平和」の反対ととらえています。

 ところがその出発点はどちらも「安全」への欲求にあるというわけです。

 その欲求が昂じて、いつのまにか正反対の「危険」を自らに生じせしめることとなってしまった、というのが現代に至る「政治」といえるかもしれません。

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 私は好戦的なことを述べる方や、排他的なナショナリズムや誇りとかに強く惹かれる方々に、嫌悪感を感じてしまう性分です。

 それが実は生きる上で、自分を狭くしているというやりきれない気持ちにもつながっています。

 たぶん私と正反対の意見を持つ上記の方々も、同じように別種の嫌悪感を持っていることだろうと思います。

 互いにそんな嫌悪感から解き放たれて、なんとか理解し合える接点はないものかと常々考えているんです。

 そのヒントが上に引用した文章にあるのでは、と思えたのです。とてもおぼろげながらですが。。。

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 「戦い」「正義」「誇り」「忠誠」「自己犠牲」「英雄」「連帯」とかの勇ましい言葉も、その出発点はそのような言葉が忌み嫌うかもしれない「安全」への欲求です。

 言葉が言葉を紡いでいくうちに、知らず知らずのうちに出発点の「安全」が見えなくなった気がします。

 いつのまにか「勇ましい言葉」が、それ自身を出発点として一人歩きを始めたような気がします。

 さらにそれらの言葉はルーツである「安全」を否定してしまうこともしばしばです。

 もう一度私たちの出発点「安全」に立ち戻り、共通の話し合いの土俵にできないものかな〜と思うのです。

 ルネサンスが「神学的価値」から「人間的価値」へと転換したように、現代においても「政治的価値」から「人間的価値」へ何とか転換できないものでしょうか。。。

 戦争というとてつもない不幸を避けるために。