私のつたないブログもあと13話で千話になります。様々なことを指のおもむくままにタイプしてきましたが、まもなくゴールだと思うと何かさびしい気がしてきます。
振り返ってみれば、ブログを書きながら感情が昂ぶったり、空しくなったりすることもけっこうありました。
特に原発や軍国化については、感情を抑えきれずに極端なことを書いた文章がけっこうあります。
しかし最近思うのは、「正反対の人を変えることはできない」ということです。
「水と油」とはよく言ったものです。
強い思いの強い言葉は、反対意見の人にはもちろん中立派の人にも敬遠されてしまいます。
結局自分の溜飲を下げるだけということになってしまいます。
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いくら良いことを書いても、だれにも影響を与えられないなら、それは空しいことに思えます。
いったい自分の文章は誰に向けて書いたらいいのだろうか。。。と考えました。
今思うのは「中立派」の心に届く文章を書くべきだということです。
「中立派」だけが影響を受けて変わる可能性を持っています。
そのためには決して独断的にならず、「柔らかく」「共感をうながす」表現が大事だと強く思うようになりました。
人が「変わるきっかけ」というのは「理屈」ではなくて「心」ですから。
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下のグラフでいえば「中立派」というのは「赤」と「緑」の層ということになりますかね。
(中高生ですが)とても多い人数です。
(出典)日本青少年研究所「中学生・高校生の生活と意識・調査報告書」2009年。
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偶然そのような考えをわかりやすく書いたブログと出会いましたので紹介したいと思います。
全文はこちら→原発推進派や中立派、日和見派に、イラだってしまう人に、伝えたい3つのこと。
2011年06月14日
(前略)
人間は、人間に興味を持ちます。
私もそうですが、考え方が変わるときには、誰かの影響がある場合が多いです。
書物だったり、動画だったり、アドバイスだったり、そのような優れたもの、つまり、人間の影響で、自分の考え方がかわります。
「そっちの考え方の方が、いい気がする」
このように誰かに思ってもらえるように、発言し、振舞うとよいのです。
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例えば、ブログの記事を1つ書くときにも、感情的に思ったことをだーーーっと書くのも良いのですが、
ふだん1時間掛けて書くところを、画像を足してみようか、とか、言葉を丁寧にしてみようか、とか、
そういうふうに、読みやすさや伝わりやすさに、ひと手間加えると、たとえ読む人が「原発推進派」であっても、余計な反発は少なくなるでしょう。
中立派も、意見を変えないまでも、好感をもって読むことでしょう。
「余計な反発」を生み出さないように、一生懸命考えると、伝えたい事が伝わりやすくなるとおもうのです。
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先日Twitterでも発言したのですが、私はよく、文字に起こしてそれを記事にします。
私も皆さんと同じように1日24時間しかありません。
もし目の前に、次の二つの題材があったとします。皆さんはどちらを文字に起こすでしょうか。
・勝間和代氏が、朝まで生テレビで吐いた暴言、の動画。
・小出裕章氏が、参議院に参考人として意見した、動画。
原発推進派と反原発派です。勝間和代氏の暴言は、ここで具体的には書きませんが、多くの人間の怒りをかって当然の、最低なものでした。
文字に起こしてぶっ叩きたい、と私は思いました。
傲慢にもほどがあると。
でも私は、小出裕章氏の動画を文字に起こすことを選びました。
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それはどうしてでしょうか。
小出裕章氏の動画を文字に起こしたほうが、原発をやめさせることに、社会が近づくのではないか、と思ったから、なのです。
小出裕章氏の発言の優れているところは、「共感」を生むことです。余計な敵を作りません。
私は、小出裕章氏の、「言葉」の包容力というものに、可能性を感じています。
皆さんも同じことを感じているのだと思います
「共感」があれば、伝わっていきます。
伝えたい、と人が思えば、どんどん、どんどん、伝わっていくのです。
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2番目は、対立する相手をなるべく減らそうというものです。
では減らすためにはどうすれば良いのでしょうか。
具体的に考えましょう。
相手から文句を言われたとき、私たちは、文句を言い返したくなりがちです。
相手が他人だろうと、家族だろうと、親友だろうと、恋人だろうと、やはり文句を言い返したくなります。
ですが、知らない相手と、家族や恋人の大きな違いがあります。
「死んでほしくない」という情です。
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原発の問題に置き換えると「被ばくしてほしくない」ということになります。
どんなに喧嘩しても、最後のところでは「被ばくしてほしくない」と思っているわけです。
これがとても大切な感情だと思います。
知らない人間が、原発デモに対して文句をいう時、僕たちは、じっと眼を閉じて、この「被ばくしてほしくない」という感情を思い出す必要があります。
知らない相手には、家族がいたり、恋人がいたり、するでしょう。
そして、その家族や恋人は「被ばくしてほしくない」と思っているでしょう。
それについてイマジネーション出来れば、知らない人からデモを否定されたときにも、文句を言い返さなくてすむでしょう。
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敵を作るのは自分です。そして、減らすのも自分です。
なんだか宗教的な発想に近いのかもしれませんが、出来る限り対立する相手を減らし余計なエネルギーを使わないほうが、一つのことに専念できるので、このように書いてみました。
「相手にするな」ということが、今私が書いたことに近いと思います。
でもちょっと違うのです。
「相手にするな」には「イマジネーションするな」という意味が含まれるのではないかと思います。
私は、想像すること、イマジネーションすることが、相手を思いやることにつながると思いますので、「相手にするな」という言葉は、あまり好きじゃないのです。
(後略)
この方のこちらのブログもとても参考になりました。→報ステ、古賀茂明騒動について。