マンガ家の一日

 水木しげるさんは本当に面白い!面白いだけじゃない、その絵、人生、雰囲気すべてこの世を超えています。(だから妖怪マンガか?)中学校の頃はゲゲゲの鬼太郎を愛読していましたが、NHKの「ゲゲゲの女房」でさらに興味を持ち20冊くらいマンガや本を買って読みました。
 絵はまさに芸術の域ですね。デューラーの銅版画ですね。ある画家がたった一コマ細密なカットを模写したら十数時間かかかったそうです。丁寧すぎる!
 人生はスティーブマックィーン主演の映画「パピヨン」ですね。
戦時中の話は映画以上、ぜひマンガを見て納得してください。でも一番面白かったのは画文集「のんのんばあとオレ」子供の頃に水木ワールドの原点は八割方創られていたんですな〜。


 しかし天才には天才の悩み、産みの苦しみあり。ひょうきんな表現に作家の悲哀を感じさせる文章「マンガ家の一日」を見つけましたので紹介させていただきます。

マンガ家の一日

 だいたい十二時頃目をさます。ただちに糞が出るときは一日中快適なのだが出ない。
 すぐめし。たいていパンであり、そのあいだに新聞をみる。なまけアシスタントが規定通り午後一時に来ているかいないか、が胸に去来する。これは大きな悩みなのだが家には八入のアシスタントと称する浮浪者様の者がおり、彼等はおりあらばなまけようとする。一人がおくれれば俺も俺もと真似する。
 しまいには休んで寝ころぶのも出てくるしまつ。意気上らんこと、おびただしい。これをやめさせるには首を切るかおこるしかない。首を切るというとそれだけはカンペンしてくれという。それに給料も安いからあまりむごいこともできないという気になる。
 しからば最後の手段は、おこる、ことしかないのだ。おこるということは生理的にはなはだ不快であり、心はなるべくそれをさけようとするが、全体のために一声どならないとおさまりがつかない。
 他のプロダクションではチーフというのがおってうまくやるらしい、家にはそんなマトモなものは一人もいない。我がプロのアシスタントは普通のと違い馬賊のようになんとなくたずねて来た連中がなっているから絵の方は一人か二入位しか書けない。
 アシスタントのことはそれでいいとしてストーリーを作らねば仕事が進行しない。しかし運動不足で糞が出ないのも苦しいことなので本屋まで散歩にゆく。行くところは十年前からソコしかない。もちろんアタマはストーリーのことを考えて行動する。ヒントをみつけるとすぐネイム(ことばの部分)、これが千里眼のように精神を集中しないとできない。
 苦しいことはさけようとするのが人間の本能であるらしく、あの相撲取の仕切のように、何回も土俵に手をついてはわかれる。あれは本能的に人問が苦しいことをさける姿であろうと思う。
 催促の電話を耳にし始めて立上る決意をする心で塩をまいて一時間位でできることもあるができないこともあり、敵のフンドシをつかめば有利なのだが立上りがまずいとてこずる。
 できても面白くないことがある。木村庄之助のような冷静さをもって面白い面白くないの判定を下さねばならないのだが事態はもう〆切時間をすぎているのですぐ決行しなければならない。心臓はしめつけられるように苦しい。苦しさのあまり散歩に出たりなんかほかのことをしようと思うがアシスタントの手前、八時間は机にいなければいけない。(僕は正直なところアシスタントというのは僕を机にしばりつける者として心要だと思っている。)一人だともうやれないがみなが同じ姿勢で仕事らしきものをしてると、つい机にいてやれるというものだ。
 夜十時には、くたくたになるが十六頁で三日かかる。夜一人で超過勤務をする。十二時前風呂に入リインスタントラーメンを食べて寝床に入る。仕事はこれで終わったわけではない。三時頃まで本を読まねばならぬ。
 主として霊魂とか神話の本である。ストーリーにつまった時は仕事は寝床まで入ってくる。つまり半分寝て半分起きて考えるのである。それをやっているとあけがた頃たいてい妙案が浮かぶ。しかし自分の作ったもので傑作だと思ったものは一つもない。
 一体こんな毎日が幸福なんだろうか。生きがいなんだろうか。と三百六十五日自問自答しながら一日がくれてゆく。おそらくこの一日は一生の縮図ではなかろうか。(「言語生活」 一月号・一九七一年)