「鳥羽僧正」と会う

 歴史の教科書に載っていた「鳥獣戯画」、動物たちがまるで人間と同じように相撲をとったり、かけっこをしたり楽しそうに遊んでいます。これを書いたのは平安時代末期のくせ者大和尚「鳥羽僧正」と言われています。

 もしかしたら私たちは誤解しているのかもしれません。昔からこの世の中は人間様だけが一番偉い世界であったと。

 実は違うんです。(という架空のお話)

時空自転車はじめて過去へ飛ぶ
 2011年、日本に人知れずエントロピーの法則を超克した男がいた。彼は偶然エントロピーの法則が歪む時空の亀裂を往き来できるようになった。彼はそれを実現する乗り物「時空自転車」に乗って過去や未来へ飛んだ。

「時空見聞録」より

 今までの時空旅行は偶然に身を任せたものだった。飛んだ先はすべて未来の日本であった。

 しかし、偶然に身を任せていては誘拐されたも同然だ。今朝、またも発生した時空の渦の中で私は思いきって実験してみた。

 「過去に飛べ!」と、ペダルを逆にこいだのだ。

 ・・・成功したようだ。私は平安時代末期の京都にいた。

 なんという閑けさだろう、森にしみいる蝉の声。ときどき獣の吠え声が聞こえてくる。
 
 「ウーー」「ギャキャッ」「ワオー〜〜」、猿だろうか、鹿だろうか、それとも狼だろうか、現代文明の中で培養された私には何の声かわからない。。

 山道を袈裟を着た和尚たちが近づいてきた。その中にあの「鳥羽僧正」がいたのだ。

 さすがに大和尚、私が「時空の旅人」であることを即座に直感し、すぐに親しく話す間柄となった。

 庵に招き、茶を勧めながら僧正は私に話しかけた。「はるか未来からようきたの〜、旅人よ。末法の世はさぞ混乱しておることじゃろう・・・」

 私は答えた。「はい、和尚様。この時代から約千年後の私の世界は人間の傲慢が驚くほどの災難をもたらす時代となってしまいました」
 
 僧正は自分もゆっくりと茶を飲み干した後、私に二杯目の茶を振る舞いながらこう話した。

 「きっとそうであろうと思っていた。たぶんおまえさんの世というのは、人間様だけの世になっているんじゃろう。そして人間同士のはてしない競争やいさかいにほとんどの時間を費やしておることじゃろう・・」

 (え、人間様だけの世?私たちの時代にもいろんな生き物がいると思っているはずなのに・・なぜ?)

 そんな私の心の声を聞いたように僧正は「ふぁふぁふぁ、この時代をよく知らんと見えるな。無理もない。人の最大の能力は忘却力じゃからな。長い歴史の中で忘れ去られたことはたくさんあるじゃろう」

 「おまえさんの時代と今いるこの時代でもっとも違うことについて話してしんぜよう。それは今この時代は人と動物たちとは親しく交流していたということじゃ」

 「え、私たちの時代だってみんなペットを飼って一緒に仲良く暮らしてますよ。何か違うんですか?」

 和尚は庵の障子を開け、薄曇りの中の緑の風景を慈しむように眺め始めた。私は足がしびれてきたので障子のそばへ行き、和尚と並んで景色を見るかたちとなった。

 突然、和尚は様々な獣や鳥の声を緑の中へ発した。それに呼応してやまびこのように様々な生き物たちの声が返ってきた。

 びっくりした!

 イノシシや猿、鹿、野ウサギ、狼、鳥、ヘビ、蛙、虫ありとあらゆる生き物がこの庵の近くに寄ってきたのだ。

 そしてはじまった。獣たちの相撲やかけっこが。まるで人間と同じように楽しく。

 和尚は、立ち上がり、抽斗から巻き紙と筆を出し、その様子を描き始めた。

 私はまさしく、あの鳥獣戯画の制作現場にいるのだった!

 和尚は描きながら私に話した。「この時代よりお前さん方の時代が進歩していたと思っておるじゃろう。ところがそれはちがう」

 「わしら天台密教の大僧正たちも、真言密教の大僧正たちも、人間の脳力と肉体の限界を究める修行をしてきたのじゃ。その結果世界を変える法則を知り、その技術を身につけた者も多くいるのじゃ。古くは空海、円仁、円珍などの大僧正たちじゃ」

 鳥羽僧正は手を休めて懐かしそうに空を見上げながら話を続けた。

 「わしらは世界を変えられた。たぶんこの時代でもお前さんの世のように。でもそれはしなかった。なぜかわかるか?」

 私はハッと思い何も言えなかった。(この時代にもアインシュタインはいたのだ。いやそれ以上かもしれない人たちが・・)

 「わしらの時代は『人間の世』ではないのだ。『生きとし生くるものの世』なのじゃ。人も獣も草木も同じ生き物として交流しておるのじゃ。その舞台というのが『自然』であり、それがわしらを生かしてくれる『もと』なのじゃ」

 「獣たちがいやだということをしないだけの分別と、欲望を抑える智恵があるのじゃ。それがたぶん、今この時代とお前さんの世、つまり末法の世との違いじゃろう・・」

 私は悪寒がした。恥ずかしかった。そして、大きな金属の車に乗って強そうにしてる自分や、その結果弱り切った足腰、自然を実感できぬ感性になってしまった自分を鏡で見るようだった。

 はてしなき科学技術の発展は本当に発展なのだろうか?増殖や暴走ではないのだろうか?

 いつから人は他の生き物たちと交流できなくなってしまったのだろうか?

 いつの間にか外は薄暗くなってきた。時空の渦が見えてきた。鳥羽僧正、それとまわりの生き物たちにも丁寧に別れを告げ、私は時空自転車に乗った。

 はたして進歩とはなんだろうか?と深い疑問を抱きつつ、この豊かな時代を後にした。

時空自転車シリーズ
「2100年のマルコポーロ」
「2051年のマルコポーロ」
「2050年のマルコポーロ」