日本も資源大国になれる

 日曜の朝は「サンデーモーニング」を家事をしながら「ながら見」です。洗濯物を干した後、テレビの前に戻ったら興味深い言葉が。岸井論説委員「3.11以降のエネルギー論争のおかげで、もしかしたら日本は資源大国になれるかもしれないという可能性が芽生えたのです
 私はハッとしました!「そうなんだ〜、目先の安い高いなんかどうでもいい話だったんだ。そこにある資源が見えなかったことが問題だったんだ。資源がないというトラウマで原発も許してしまったんだ」

 そうです。太陽光や風力、水力、地熱、潮汐、水素、これらの資源は有り余るほどあるじゃありませんか。それが資源だという認識を全く持っていなかった。(私は・・・)

 石油や石炭、天然ガス、これらだけがエネルギー資源だと思っていました。(ウランはワクチンのない病原菌内蔵物質と同じですからもともと論外)それが最近の論争で、自然エネルギーは莫大な実用可能性を持っていることが皆の知るところになってきたのです。

 まったくものの見方一つ、それを的確に表現する言葉一つで私たちは一瞬にして本質を悟ることができます。貴重な一言を今日は聞きました。

 だいぶ前「知価革命」とう言葉も私たちに衝撃をあたえました。知識(知恵)や情報が資源であると。それが今の情報社会につながりました。(よくもわるくも)

 それと同じように「資源革命」が今始まろうとしている。しかもそれは貧富や地域の差など関係なく、私たちが共通に享受できる無尽蔵の「自然の恵み」がそのもとなのです。ですからきっと多くの人の「幸せ」につながることでしょう。

 電気料金が百何十円上がるからとか、雇用がみな海外に行ってしまうからとか、そんなこけおどしみたいなことに、なにをけちくさくビクビクしているのでしょうか、こんなチャンスに私たちは!

 経済界や政界、学界で弱肉強食の性能競争を這い上がってきたプライド高き人々も、重厚長大をさらに増殖、暴走させることへの無益な奉仕はもうやめましょうよ。

 私は勝手に定義しています。「性能」とは誰かが考えたことを広げたり速くしたりする競争力のことです。言い換えれば「ロボットやコンピューターのように人に使われる価値が高い」ということです。

 「能力」とは「人のために人にしかできない創造力」です。そのもとはたぶん人にしかない(と思われる)「善きこと」への意思です。

 小さい頃から競争力に優れ、競争に勝ち残ってきたことを自らのプライドにして、社会で影響ある立場を築きあげた多くの原発推進派の迷惑な人々に言いたい。

 たかだか7-80年の人生を「目くそ鼻くそを笑う」ようなドングリ競争で自らのプライドを保とうとする低級な原点から、もっと人間的な「善きこと」こそ原点にしていきましょうよ。

 どうしようもない廃棄物を後世に残すということをなんとも思わないことが、そもそも「人間失格」でしょう。自分の子どもや孫に聞いてみてくださいよ。

参考ブログ 「私たちには鏡が必要だ」 「パソコンと脱原発」