毎日違う味のラーメン屋

 鶏肉だけのスープに鶏肉のチャーシュー。こだわりのラーメン屋さんがテレビの取材を受けていて、最後に答えた言葉がとてもおもしろいものでした。「うちのラーメンは毎日味が違うんです」

 え〜!、それって私の料理と同じじゃない。私の場合は料理の基本がまったくだめなので、いきあたりばったりの「できてみないとわからない」料理なんですが、プロの料理人はこれじゃまずいでしょう。

 そのプロがこんなこと言うのは初めて聞きました。

 仙台市国分町「中華そば嘉一(かいち)」の店主は続けます。「なにせ材料そのものが毎日すっかり同じというわけにはいかないので。ですけどお客さんも味が変わるのを楽しみにしているようですね」

 う〜ん。深い考えだと思いました。

 料理店は同じ味を出し続けるから価値がある、と言われ、車や機械はすべて同じ品質だから価値がある、と言われてきました。

 でも、これって、すべての産業にあてはめたらとても無理のあることじゃないでしょうか。

 毎日ちがってちゃだめなのかな〜?

時空自転車ちょっと寄り道

「もう一つの私の時代」

 「いったいいつの時代だ、ここは?」

 鳥羽僧正と会った帰りの「時空の渦」だった。渦の中できりもみしてしまい、頭がくらくらする。

 ハッと気がつき周りを見れば、未来でも過去でもないようだ。時空の渦は、私を元いたところにきちんと戻してくれたのだろうか?

 やはり元の世界に違いない。時間はもう夜、ここはネオン街。見慣れた感じのネオンがきらめく。この街はこれから朝がはじまるのだ。

 なんだ、ここは国分町じゃないか。しばらく来てなかったが、この地区は不況も何も関係ないようだ。

 爪楊枝をくわえたオヤジが若い娘に手を組まれ、まるで拉致でもされたようにしてネオンの方へ千鳥足。

 通りの半数は携帯電話を耳に当て、もう半分はスマホを見ながら歩いている。客待ちのタクシーの多いこと・・・。

 「ま〜いいや、久しぶりに居酒屋にでも入ってみよう」

 居酒屋に入ってメニューを見て驚いた。品書きはない。かわりにあるのがこれだ。<今日のマスター> <今日の雰囲気> <今日の看板娘> <今日の味>
 
 注文はしなくていい。メニューは日替わりの決め打ちで選ぶ必要はないのだ。

 マスターが「よくきたな。少し顔色わるいぜ。あっさり?こってり?」

 客があれこれ注文するのではない。マスターの思った通りに客に出すのだ。看板娘も自分の気に入った人にだけ愛想がいい。

 私は少しムッと来て、「なんだい、この店は。客を客と思っちゃいないのか!」と怒ったら、まわりのみんなが「何を変なこと言ってるんだろうこの人は?」という顔で私を見るのだ。

 ・・・・・後でわかったことだが、ここは「もうひとつの私の時代」だったのだ。いろんなことが逆転していたのだ。

 「もうひとつの私の時代」では、自分が自分のためにしたいことをする世界だったのだ。だから料理屋のオヤジは自分が作りたいものを毎日気のむくままに作り、客は店でオヤジの創作を楽しませてもらうという案配だ。まるで芸術家とコレクターのようだ。

 誰でもがそれぞれ、自分がしたいように店を開き、店を変え、ときには主人、ときには客、日々仕事は自由にあれこれ変えるのがこの世界の常識だったのだ。それでいてお金もかえって回転がいいらしい。

 私の世界は「お客様は神様です」だった。この世界では「私が神様です」とみんなが言う世界だった。

 ラーメン屋の話を聞いて私の妄想と筆のおもむくままに書きました。でもこんな世界もおもしろいですよね。