昨日の続編です。ランチを食べながら吉成理事長としばし歓談。ここで行われるワークショップのコンセプトに「それはいい!」とあいづちです。くまさんは「うちの娘も参加させたい」と本気になっていました。
ここはもうひとつの「子どもの学校」です。
会話をしながら、理事長さんが行うワークショップのコンセプトが会話の中からうっすらとほのめいてきました。
(店内スポット、モデルはくまさんです)
吉成理事長は蓄熱土ストーブのわきに腰掛けながら語ります。
「私は演劇を基本にしてるんです。そのなかで子どもたちと思い切り「殴り合いのようなこと」もしたりするんです。そんな経験が子どもたちの心に何かを目覚めさせていくのです」
「子どもたちとやるワークショップは、本当の殴り合いではなく、「ことばのボクシング」のような感じです。演劇的な表現として、仮の世界で登場人物の台詞としてコミュニケーション上の言葉のキャッチボールを疑似体験するという意味です」
「それと子ども達には自然エネルギーを利用した循環型の暮らしの中で一緒に過ごしながら、いろんなことを気づいてもらうのです」
(下の写真はワークショップで子ども達や家族が宿泊する「エコハウス」です。太陽光発電とバッテリーが設置されています)
(これは寝室)
(これはたぶんワークショップの「道場」?)
う〜ん・・・大事なことでした。私は思うんですが、人と人が互いに意見や感情をぶつけ合うことによって、人は「限度」というか「ほどほど」というか「抑制」ということも学んでいくと。
それと自分の排泄した「汚れもの」がきれいなたい肥やメタンガスに変わってわれわれのためになるものに変身していく。こんなこともこどものうちから実感できたとしたら、社会はもっと安心安全な住みやすいものになることでしょう。
小さいときからのコミュニケーションの欠如は「過剰な防衛本能」を生み出すことがあります。それと相手の気持ちや痛みが分からないから限度がわかりません。これが現代世界の実態にも反映しているように思うときがあります。
小競り合いや様々な競争はあっていい。しかし致命的なことをしてはだめだ。競争やけんかの後は、その前よりも仲良くなれなければ何の意味もない。こんな暗黙のルールが、今や大人の世界はおろか、子どもの世界からもなくなりつつあるのではと思います。
私は、この延長上に戦争とか原爆とか原発とかの根本的問題があるように思えるのです。それは多くの人の「子どもの頃の感性」までさかのぼらねばならない問題だと思えるのです。
さてもうひとつのお話も紹介。実はこの地域は携帯電話もwifiもみんな圏外なんです。
「実はこの地区にも1年前に光がつながったんですよ!これはじつに嬉しかった。それまではモデム回線だったんですから。電気や熱はなんとかなっても情報だけはなんともならない。この時代、私たちのようなところこそありがたみが大きいのです」
私も同感です。都市部のどうでもいいコミュニケーションもあっていいとは思うけど、まずは「情報」で受ける恩恵の大きいところからつながっていくのこそ正道と思います。過疎地はその点、医療やくらし、防災などにはかりしれない恩恵があるのです。
私の一言「ITは強者の剣(つるぎ)となるよりも弱者の杖となるべし」
また機会を見て続々編も紹介したいと思っています。