落合監督は宮崎監督だ?

 えっ?どっちも監督だけど、野球とアニメじゃないですか。どういうことでしょう。似ているとしたら仏頂面?それとも腕ぐみ?
 朝日新聞の「さらばオレ竜」という特集で、ジブリの鈴木敏夫さんがこう言ってるんです。

 「落合野球を世間に向けてどうプロデュースするか」という問題もあったと思います。落合さんはプロデュースする側から見れば最高の監督、ジブリで言えば宮崎駿です。宮崎監督の映画にも謎や面白さがたくさん隠れている。僕はそれをどんどんネタばらししてしまう。観客もそれを知るべきだ、と思うからです。落合監督にもプロデューサー的な人がつき、本人に代わって情報発信する、というやり方もあったのではないか。

 う〜ん、なるほど。奥が深いというか、味があるというか、隠し味の宝庫というか、玄人好みの監督さんということでは共通ですね。

 落合野球は「なぜああいう采配をしたのか」という謎を、見る側にかけてきます。それを解くのが僕は楽しくてしょうがない。でも、そういう面白さは一般のファンには伝わりづらい。もっと多くのマスコミが落合野球の本質を報道していれば、今シーズンで退任という事態にはならなかったかもしれません。

 鈴木敏夫さんは、落合監督は「オレ流」じゃなかった、とも言っています。

 あの人は「オレ流」じゃないです。現役時代から、落合ほど試合中、他の選手に声をかけ励ます人はいなかった。毎年、中日ドラゴンズの全試合のテレビ中継を録画して見続け分かったのは、公式戦の100試合目ぐらいまでは延々とチームづくりを続けているということです。

 例えば、凡退続きの若手選手に当然代打を出すべき場面でそのまま打たせ、やっぱりダメだった、というケースが極めて多い。選手たちに機会を与え、育てているんです。それが一番成功したのが荒木、井端の二遊間でしょう。毎試合、チームづくりの過程を見るのは、映画づくりを間近で見るのと同じ喜びがあります。球団の経営陣やファンのことより、常に選手を最優先に考えている。今のプロ野球界では稀有(けう)な存在です。

 つボイノリオさんというラジオパーソナリティーはこう話しています。

 ファンの寂しい気持ちもよくわかります。その年のオフ、私はファン感謝デーの司会を務めました。最後は監督の言葉で締めるだろうと思ってたんですが、落合さんは冒頭のあいさつだけで帰っちゃった。試合後のコメントが淡泊なことも含め、落合さんのオレ流に「楽しみを奪われた」と感じるファンもいるでしょう。

 プロ野球の応援って、チームが勝っても、自分がもうかるわけじゃない。情熱しかないわけです。その気持ちをどれだけあおってくれるか。熱ければ熱いほどいい。星野仙一さんが、名古屋で今も人気があるのは、そこが上手だったからです。

 落合さんと同じ秋田県出身の山田久志・前監督は、名古屋の県人会に頻繁に顔を出していました。しかし落合さんは違う。OB会や財界に対する態度もおそらくサバサバしてたのでしょう。選手時代は、中日からあっさり巨人へ出ていった。頭を下げてまで溶け込もうとしないドライな姿勢も、ファンは寂しく感じているんだと思います。

 同じ紙面で哲学者の梅原猛さんはこのように語っています。

 異端、反骨は孤独に耐えることでもある。孤独になるのは怖い。普通は群れて、なぐさめられるのを求めるもんです。だが、なぐさめられることで、逆に弱い人間になる。落合は1人で耐える強さを持っている。大リーグで淡々と安打を打ち続けるイチローも似ているのではないか。落合の奥さんは年上ですよね。孤独なだけに、唯一の理解者になってくれる母親みたいな存在が必要なのでしょう。

 創造は異端から起こる。今までと同じことをしてもある程度の評価は受けるが、本当に大きな仕事はできない。そういう意味で歴史に残る監督です。

 スポーツも究めれば「哲学」です。「オレ流」の哲学のエッセンスは「群れない」「孤独を恐れない」「育てる」にあるようです。

 スポーツを通して「生の人間」がストレートに「生きた哲学」を伝える、感じさせる。これって真の「教育」ですね。

 落合監督のようなタイプを評価できる社会でありたいものです。

参考
 一流のスポーツマン