貧・望太郎の冒険その3

 『現代の長屋』で熱くなった「貧・望太郎(ビン・ボウタロウ)」、いよいよ彼の持論が展開!とともに彼の謎の経歴もすこしづつ明かされていきます。

江戸の長屋

 「あ〜、この現代とやらでも「米のまんま」を食えるってのは、いちばん嬉しいぜ!」

 五杯目の茶碗に番茶をかけて、たくあんでかっこむ望太郎。

 「ボウタロウ、おまえさんずいぶん食べるな〜。それとほっぺに飯粒ついてるぞ」

 私はあきれ半分、感動半分で彼の食べっぷりをずっと眺めていた。めしをかっこむ寛平ちゃんのような彼の顔が、まるで子どものまんまで実にかわいいやつだ、としみじみ思った。

 「ボウタロウは江戸でもそんなに食べていたのかい?」と聞いたら、彼は「江戸じゃひとり一日四合の飯があたりまえさ。それを一日二回の食事で食うやつも多いぜ」

 「そればっかりじゃね〜、米といや〜、酒もひとりならして一日二合はのんでる計算だ。その米ってのは、あんたの住んでるここ伊達藩からがほとんどらしいぜ」

 それを聞いて、昔からわが郷土は大江戸を支える穀倉だったのかと親近感が増してきた。

 満足したように茶碗をおいたボウタロウは、何かを思い出したように立ち上がり、タンスの引き出しをあけた。

 彼が飯台の前に広げて見せたのは江戸の長屋のスケッチだった。

 「いつやら時空通信で送られた来た日向子さんの絵や。これがわしの住んでた長屋だよ。ノボさん」


長屋のあれこれ

 「けっこうコギレイな感じだな」と私が言ったらすかさず「そうさ、江戸っ子はきれい好きなんだよ。だいたい風呂だって空っ風の吹く頃なんか日に三回も四回もはいることがあるんだぜ。ザブンと烏(カラス)の行水だけどな」と乗ってきた。

 「わしらは熱っ〜い風呂に入るのが好きなんで、肌がほれ、こんなにうすくなっちまいやがんのさ。糊のきいた浴衣じゃ痛くて着られん。でもそれがわしらの「粋」ってもんなんだよ。ワカルカナ〜? というわけで家だってけっこうキレイにしてるってわけさ」

 「ところでボウタロウ、そろそろ現代に通ずる『長屋のあれこれ』を話してくれよ」

 望太郎は爪楊枝をおいて首をかしげ、目を斜めに天井付近において腕組みし、思い出すようにして語りはじめた。

 「そうさな〜。二つあるかな〜。ひとつは「まわりまわってムダがない」ってかんじのことだし。もうひとつは互いの「助け合い」ってことかな」

 わたしは思った。(うん、これだ!俺たちの世界がよりまともになるためのキーワードは!)

 「ノボさんよ、江戸ってのはわしらの時代じゃ「大都会」なわけさ。その大都会で暮らすわしら一般庶民ってもんは長屋暮らしがほとんどさ。で、その長屋なんだが、これに自給自足的なところがあるのがミソなのさ。ま〜田舎にいったらそもそも自給自足以外ほとんどないけどね。」

 「たとえばどんなものだい?大都会の『長屋の自給自足』って」

 「たとえばだ、ちょっと臭い話だけど、わしらの厠は共同で長屋の裏にあるんだ。そこにたまったものは近くのお百姓が定期的にくみ取りに来てくれる。大事な肥料になるからな。そのとき野菜を代わりにおいていってくれるのさ。これでほとんど菜のもんはまかなえるって寸法さ」

 「ゼニなんかいらねーよ。ひり出すもんがあればだけどな」と笑った

 「なるほど、近くの農家を含めた自給自足ってわけだし、食べて出して野菜が育ってまた食べる。当たり前みたいだが現代では失われつつある『くらしの循環システム』だな」と私はうなづいた。

長屋の助け合い

 「望やん」わたしは親しみを込めた呼び方で望太郎に話しかけた。

 「『長屋の助け合い』ってどんなことがあったのかな?」

 食後の運動のつもりか、腕をあっちこっち伸ばしたり縮めたりしながら彼は話す。

 「いっぱいあるんだが・・・。そうそう、長屋じゃ「飯炊き」はわしら男の当番さ。朝に一日分を炊くんだがその七輪は共同さ。あとそうだな。どこぞの赤ん坊でも、長屋のみんなでおんぶしたりして長屋の子どものようにして育てるんじゃ。男がおんぶするのが多かったぜ」

 私は「へ〜、江戸時代は男がいばりくさっていた社会と思っていたがずいぶんちがうな?」

 望太郎は何バカなことを言ってるんだ、という顔をして語った。

 「馬鹿言うでね〜よ、ノボさん。江戸はカカア天下の町だぜ。男の人口が多いからオンナ天国だよ。」

 「だいたい離婚したって家を出て行くのは男のほうさ。『三行半(みくだりはん)』ってのは男が書かされる離縁状だが、家も子もすべてあんたのもんですって女に渡してくる証文だぜ」

 「そんな社会だから、女はけっこう楽しんでる。酒だって女が呑むのは決して男に引けをとらないんだぜ。女は昼間呑むんだ。そんなわけで女房連の色恋話もワンサカで誰の子どもかわからないのが多いのさ。それが当たり前なんで、長屋ではみんなで育てるのさ」

 この話を聞いて私はある映画(ビデオ)を思いだした。山田洋次監督の『運がよけりゃ』という長屋ものの映画が、まさに望太郎の話す長屋そのものだった。

 主演の「ハナ肇」はいつも赤ん坊をおぶっていた。しかも俺の子じゃね〜っていうのは自分も長屋の皆も知っていた。脇役に「渥美清」も出ていたな〜

 望太郎の話は続く。「ま〜長屋なんてのはみんな筒抜けだし、おかげで具合悪くしてても誰かが気づいて面倒見てくれる。暮らしは貧乏でも、だれもそれがとてつもなく"て〜へん"だなんて思わないってわけさ。めしと思いやりはだれでもいつでも必ずありつけるからな」

 さて、そろそろ『現代の長屋』は可能か?という段でいつのまにかまた飯どきになっていた。

 「ノボさん。『そとめし』食わせながら現代のあれこれワシに見せてくれよ。続きはそれからにしようぜ。あせったってしょうがないぜ。たったの一生、ゆっくりたのしくやろうぜ!江戸時代のわしらみたいにさ」