きれいな窓をみがく人

 きれいな窓をみがくことは、そんなに価値がある仕事でしょうか?それよりも汚れた窓をふくことや、新たな窓をつくることのほうが価値ある仕事ではないでしょうか?
 私の独断的な職業分類です。

 「きれいな窓をみがく人」=大手企業に勤める人
 「よごれた窓をふく人」=零細企業に勤める人、ボランティア
 「窓をつくる人」=自営の人、創業する人、改革する人、地方で働く人

 今大きな問題なのは、性能優秀な方々がみな「きれいな窓をみがく人」になりたがっていることです。

 難関の大学に入り、大手企業に就職することこそ人生の目的。

 このように考える子どもたち、その親、社会風潮がまだまだ主流です。

 その結果、すでにできがった大企業はますます大きくなってグローバル化し、やがてはそれ自体が独立した生き物のように暴れ回るようになります。

 リーマン・ショックを思い出せば、皆さんきっと納得されることでしょう。

 能力が高い(性能が良い?)人々が、その能力(性能)が本当に必要なしごとに就かないことが社会的なアンバランスを生じさせています。

 たとえば、医師は都市にのみあふれ、地方では慢性的に不足。とくに産婦人科が田舎に少ないので、これでは田舎の人口減少がますます加速するばかりでしょう。

 零細企業もそうです。固有技術や良質な製品をもっていても常に人材不足で一代限りとか。

 自営なんていうのは死語に近いですね。

 なんか情けないです。高性能ロボットが自分を買ってくれる王様を待ち望んでいるような・・・。

 きれいでお利口なペットが金持ちのご主人様を待ち望んでいるような・・・

 やはり「性能」と「能力」は違うことだ、と学校でも家庭でも社会でも教えていかないとまずいんではないでしょうか?

  「みんなの独創村って何?」で私はこう定義しました。

 「若者よ、挑戦せよ!」と、よく大企業の雇われ社長さんたちが言ったりしますが、若者には、会社を決める段階とか仕事を選ぶ段階でこそ考えてもらいたい言葉です。

 巨大ロケットには、やはり高品質の部品が必要です。だから大企業としても高性能高品質の確率が高い部品を買い求めるのでしょう。高いお金で。

 ですけど、それって結局「部品」です。

 小さいところを大きく(いい意味で)する、自分で新たなことをするというのは「部品」ではないんです。だから「一個の人間として価値の高いしごと」なんです。

 数少ない巨大ロケットの「部品」ばっかし多いのが、今の社会の諸問題の遠因になっているんじゃないでしょうか?

 ま〜、出世コースをはずれた人生を歩み続けている零細企業のオヤジのぼやきと思って聞いてください。