昨日は商売の原点を思い出させていただきました。父と一緒に、定義如来(じょうげにょらい)という寺院に行ってきたんですが、その参道にある食堂でのことでした。
→定義如来 西方寺
88歳になるわが父は、神社仏閣巡りが大好きで、この歳になっても自ら車を運転してあっちこっち遠出をします。
しかし最近はさすがに老いには勝てず、物忘れやら運動神経の衰えなども目立ってきました。
「年寄りの冷や水」というがごとく、歳をとればとるほど「俺はまだまだ大丈夫」という意識も体の衰えに比例して強まるようです。
そんな親父が重大な交通事故でも起こして、人様に迷惑をかけたら申し訳ないと私は思いまして、余生はできるかぎり私が運転手をしてあげようと思い「父子道中」となった次第です。
一人暮らしの父と同行しながら会話をすれば、「ぼけ防止」にもなりますしね。
さて、仙台市の山形側のはずれにある「定義如来(じょうげにょらい)」は平家の落人をまつった寺でもあり、宮城県ではとても有名な寺院です。
ここに、親父は数十年、ほとんど毎月一回通っていました。
二人でお参りした後、参道にある親父行きつけの売店件食堂に案内されました。
そうしたら!!
「じいちゃん、よく来てくれたね!かわりなかった?」と、にこにこ顔で売店の餅焼きおっさんが挨拶してくれます。
食堂に入ると、こんどは若いお姉さんが、忙しいのに飛んできて微笑みます。
「じいちゃん。元気そうで嬉しいわ!先月来なかったし、この前来たときは顔色が白くて心配してたよ。。今日はとてもいい顔色で安心したわ」
「ゆっくりしていってね。ゆっくり食べてね。」
親父は、にこにこ顔のまんまです。
私はとてもとても嬉しい気持ちがしました。
親父が私を紹介すると、お姉さんは親父の病歴から日々の暮らしぶりまでよくご存じで、ほんとに心が温まりました。
親父はここでいっぱい買い物をするわけではありません。
いつも蕎麦を一杯と、家の仏壇にあげる100円のまんじゅうを2個買って終わりです。
ですから、お姉さんもおっさんも、ものを売るためにこびを売っているわけではないのです。
毎月来て寄ってくれる、そして元気な顔を又見せてくれる、それだけが嬉しくて温かく歓待してくれるのです。
仏様の慈悲に、とても近しいことに感じられました。
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ふと、思いました。。。
(何かに似ているな?)
(そうだ!スナックだ!)
「社長さん、お久しぶり〜〜。お元気そうで何よりですわ〜〜。ゆっくりくつろいでいらっしゃってね♡♡♡」
(親父たち年寄りにとっては、こんなお店がスナックだったんだ! いくつになっても変わらないな〜おとこってもんは)
何気なく食堂の横に目を向けるとそこにはこんな表示がされていました。
なるほど、やっぱり!
将来は私が親父の跡を継いで、毎月ここに来てもいいな〜と思いました。
参考
(親父出演のブログです)
求む!シルバー・クオリティー
「戦う」と「闘う」
気骨ある親たち
ジャガイモ掘りの日曜日
千日聴聞行