ニュースに野蛮人が出た!

 「野蛮」とは、顔に入れ墨をして裸で暮らすことではありません。「教養がなく、粗野なこと」つまり「人間性が著しく欠如」していることを言います。ゆうべのニュースでその典型を見て具合が悪くなりました。
 皆さんも見ましたか?名古屋で開かれた国の「エネ意見聴取会」の様子。

 新聞記事から抜粋します。

朝日新聞 2012.7.17

 意見表明では、中年男性が中部電力の社員と名乗ったうえで、20〜25%を支持する立場から発言した。「放射能で亡くなった人はいない」「原発のリスクが過大に評価されている」などと述べると、ヤジが飛んだ。男性は会の終了後、取材陣に「会社の指示はなく、一個人としての参加」と話した。

 テレビを見ていた私たち夫婦はたまらず叫びました!

 「ふざけんな!それなら家族みんなで福島(福島第一原発の近隣市町村)に住め!」

 メガネをかけたインテリっぽい男性。。。みかけは野蛮人っぽくないが、なんたる野蛮な心!!!

 いまだにこのような発言を、しかも堂々とする人たちがいるとはショックです。。。

 「放射能で亡くなった人はいない」、だから許容範囲内のリスクである、と言いたいのでしょうが、あまりにも不勉強。不誠実。

 今更知らない人などいないはずでしょう。

 放射能の影響がどれほど長期に及ぶものか、特に内部被曝が生殖細胞の遺伝子を傷つけていくことにより、世代を超えて予測不可能な障害を引き起こす可能性がどれほど高いことか。

 故郷も仕事も失った多くの人々がいて、今後も帰ることができないかもしれないという終わりが見えない過酷な現実があることを。

 さらに、核廃棄物の捨て場所がない、核廃棄物を決して無毒化できない、という根源的な問題があることも。

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 ところが、この中部電力の社員に象徴される「野蛮な心」を持った人々がまだまだ多いんですね。これが現代社会の病理です。

 これらの種族は、三流以下の下等な生き物です。本当の野蛮人です。

 どうしてこんなに非難したくなるかと言えば、「不勉強」「傲慢」だからです。

 まともな教養を持っていない人たちだからです。

 こういう人たちの思考形成はいったいどのようになされてきたのでしょうか?

 誰かがすでに考え出してきた「物理学」や「確率論」「経済学」を表層的に勉強し、その理解力と計算力の相対的競争性能だけを競ってきた人たちなのでしょう。

 そのような「理科系的学問」の根本に「生命」「自然」「生き物」「人間」「社会」というものがあるということを、ほとんど考えることなく、学ぶこともなく、おまけのようにとらえて生きたきた人たちなのでしょう。

 真の科学的精神を持つ人なら、謙虚な気持ちでそのような根本を常に意識し勉強し続けるはずです。

 それが「教養」ということです。それは決して「知識」だけではありません。「人間性」というべきものです。

 そのような「人間性(真の教養)」の乏しい人は、いくら博士だろうが、大臣だろうが社長だろうが「野蛮人」なのです。

 彼らは地球や生命にとって、とても迷惑な存在です。

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 こんな記事が数日前に載っていました。

朝日新聞 2012.7.15

 国内の科学者84万人を代表する組織として日本学術会議がある。1949年に発足した。会員210人は首相に任命され任期は6年。3年ごとに会員の互選で会長が選ばれる。自然科学系が人文・社会科学系より圧倒的に多い組織だから、ただ一人をのぞいて理系学者が会長になっている。

 「ただ一人」の文系会長が総会で選ばれたのは昨年7月。福島原発事故で学者たちが世間の非難をあびているさなかである。その人物は専修大学の広渡清吾教授(66)。東大の社会科学研究所長、副学長を歴任したドイツ法の権威だ。ふつうなら昨年9月末に任期満了となる会長職だが、「70歳定年」の規定から途中交代となった。

 会長選は候補者1人の得票が過半数になるまでくりかえされる。3回目でやっと決まった。なぜ文系になったのか。諸説ある。「理系センスでは混乱期をのりきれないと感じた会員が多かった」「新会長は3カ月で任期切れになるので、だれも根回しに動かなかった」「広渡さんの会員任期があとわずかなので花を持たせた」

 広渡さんは会長を務めおえ、「学者にできることは何か」(岩波書店)を書いた。「科学にエビデンス(証拠)とイマジネーション(想像力)の二つの要素が必要」という一節がある。前者は自然科学の鉄則だが、後者はぴんとこなかった。

 専修大の研究室を訪ね、補足してもらった。「希望のある社会とはどのようなものかを想像する力、イマジネーションがいまの科学政策に欠けている。想像力は人文・社会科学の得意領域。自然科学といっしょになって考えていかなくてはならない」
 さまざまな分野の研究者がいる学術会議にしかできない仕事だろう。アインシュタインの言葉でしめくくりたい。

 「知識には限界があるが、想像力は世界を包みこむ」

 私たちは幼少期の教育から考えを改めていく必要があります。

 それは、「頭がよい」とはどういうことか?という問いが大事になってきます。

 →「頭がよい」は善いことか?

参考
 「部分自然」と「全体自然」
 アルキメデスの末裔
 学問する順番
 宇宙船ビーグル号と似ている今
 毛細血管の話