サリドマイドと放射能

 アメリカではサリドマイド児はひとりも生まれなかったそうです。それはケルシー女史という方の直感と行動のおかげだったそうです。彼女にはケネディ大統領から勲章が贈られたそうです。放射能の問題ととても似ているように思います。
 →サリドマイド事件とは

柳澤桂子「いのちと放射能」より

 アメリカでも、薬の販売会社が、国にサリドマイドの販売許可を求めました。しかし、厚生労働省にあたるような国の保健機関に勤めていたケルシー女史が、ドイツで発表されていた論文を読み、この薬はおかしいと直感しました。

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 まだサリドマイドと奇形との因果関係ははっきりしていませんでしたが、ケルシー女史は「あやしいものは許可しない」という信念をつらぬきました。そのお陰で、アメリカではサリドマイド児はひとりも生まれませんでした。ケルシー女史にはケネディ大統領から勲章が贈られました。

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 誰もがケルシー女史のように正義感強く、勇敢になれるとよいのですが、私自身、まったく自信がありません。勇敢であるだけでなく、彼女は勉強家でもあったのです。外国の文献をきちんと読んで、正しい勘を働かせたのです。

 毎日書いているこのブログ、ほとんどが「原発」に関係してしまいます。「地球」「自然」「生命」「人間」「社会」「科学」あらゆることに、この問題は深い「根」を下ろしているのでそうなるんだと思います。

 さて、一昨日のニュースはショックでした。いまだに癒えません。

 この期に及んで堂々と「放射能で亡くなった人はいない」と「安全宣言?」する人がいるんですから。

 →ニュースに野蛮人が出た!

 もしかしたら、この方の発言を聞いて「そのとおり!」とか「そうかもな?」と思う人もいるのではないかと心配になってきました。

 今日は過去のブログから生命科学者である柳澤桂子さんのお話を抜粋して、「放射能がなぜ怖いのか」をおさらいしてみたいと思います。

 そして「原子力」は物理学の問題かもしれないが、それと表裏をなす「放射能」は生命科学の問題であることをよく認識したいと思います。

 物理学(それと経済学)だけで取り扱ってはいけない、とても危険な問題なのです。

 昨日のニュースに出た中部電力の方は言い直すべきです。

 「放射能で亡くなった人は今はまだいない」と。

 著者の柳澤桂子さんはこのような方です。

 1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員としてハツカネズミの発生の研究に取り組む。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年同研究所を退職。以来、病床で多数の科学エッセーを執筆。主な著書に『二重らせんの私』(ハヤカワ文庫)『生きて死ぬ智慧』(小学館)『癒されて生きる』(岩波現代文庫)『母なる大地』(新潮文庫)他多数。

 2007年の著書『いのちと放射能』で、彼女は放射能の恐ろしさについて生命科学的な観点から語っています。


 ここ数年の間に、放射能や原子力発電の恐ろしさについて書いた本がたくさん出版されました。
 けれども、放射能の恐ろしさを生命科学的な観点からしっかりと説明した本がないことに私は気づきました。
 放射能のほんとうの恐ろしさは、突然変異の蓄積にあると思います。
原子爆弾や原子力発電の事故によって、地球が壊滅してしまわない限り地球は汚染され、すべての生物において突然変異の蓄積が進みます。その結果、何が起こるのかということを予想するのは難しいでしょう。

 そして、その線量に比例して細胞の中の情報テープに傷をつけつづけます。
 いちばんおそろしいことは、卵や精子の情報テープについてしまった傷は卵細胞や精子を通して未来永劫いつまでも子孫に伝えられるということです。
 地球を放射能で汚染していけば、半減期の長い元素の放射能は増え続けるでしょう。
 そして、突然変異も蓄積していくことでしょう。

 原発の死亡率は交通事故よりも低いと経済評論家は胸を張って擁護しますが、生物の未来に及ぼす悪影響の大きさは予測もつかない恐ろしさなのです。そもそも生物レベルの問題を経済や政治の階層で考えるということが本末転倒のように思います。抜粋を続けます。

 私たちは四十億年前にこの地球上にあらわれた生命から進化してここまできました。
 人間だけではありません。
 たくさんの生物が進化して、それぞれ食べ物を供給しあい、助け合ったり戦ったりして今日まで生きてきました。
 豊かな自然が生物たちのすみかでした。
 4000000000年もの間ですよ!
 ひとりの人が百年生きるとして、その四千万倍の間、平和に続いてきた地球の生命活動を、この私たちが取り返しのつかないものにしようとしているのです。

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 もちろん、いま、私たちが急性の放射線障害やガンで死ぬことも問題です。
 先天性異常児が増えることも困ります。
 けれども問題はもっともっと大きいのです。 
 私たちは、何をしようとしているのかということを宇宙的な時間のスケールで見なければなりません。

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 私たちの細胞の中には情報テープに放射線がつけた傷をなおす酵素(修復酵素)が含まれています。
 すでに述べたように、私たちは岩石や宇宙線から絶えず微量の放射線を受け続けています。
 生命が地球上に誕生してからこのかた情報テープは放射線の影響を受けています。それが細胞にとって好ましくないものであるために、情報テープにできた傷をなおす能力のあるものが進化の過程で選ばれて生き延びてきました。
 それでもなお、天然の放射線によって一部のガンが引き起こされていると考えられています。
 人工的な高濃度の放射線を浴びた場合には、この程度の修復酵素では間に合わないでしょう。
 けれども、なかには生まれつき異常に高い修復酵素をもっている人がいるかもしれません。
 修復酵素をたくさんもった突然変異です。
 そういう人が一億人にひとりいるとすると、世界中で何人の人が生き残れるでしょうか。
 まるでノアの箱舟ですね。これは私の空想に過ぎませんが、こんなことも考えられないわけではありません。

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   だあれも答へない 誰も笑はない 私はひとり歩いてゐる
   最後の家の所まで 私はとほくに 日はいつまでも暮れないのに
   私はひとり歩いてゐる 私はとほくに歩いてゐる
             (立原道造「傷ついて、小さな獣のやうに」より)
  
 放射能はこのように生物にとってたいへんおそろしいものです。
 生物は放射能にはたいへん弱いのです。

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 私たちはすでにいろいろな化学物質で地球をよごしてしまいました。
 けれども放射性物質による汚染は、これまでの化学物質による汚染とは比較にならないほどおそろしいものです。
 しかもそれがチェルノブイリの事故のように空高く噴き上げて地球中に降ってくるのです。
 また、私たちは、捨てかたもわからないごみを自分たちの欲望や快楽のためにどんどんつくりだして、地球をよごしているのです。
 人間は原子力に手をだしてはいけません。原子力は禁断の木の実です!

 生命の歴史は私たち「生き物」にある警報装置を与えてくれました。

 それは「直感」です。

 今その「直感」にしたがって、「原子力」を怖れている人が多いのです。

 それは「理屈」の世界ではなく「本能」の世界です。

 もし「本能としての直感」を軽々しく考えるなら、生き物として存えることはきっと困難になることでしょう。

参考
 ブラックSF「大間のクジラ」