いじめられている君へ

 『いじめられている君へ』という記事が朝日新聞一面で連載されています。さまざまな方々が自らのつらい体験を語っているんですが、中でもボクシング王者だった内藤大助さんの言葉が一番心に響きました。
 私たちもみんな「いじめ」についての体験があるはずです。

 いじめられたり、いじめたり、いじめを見ていたり。

 小さい頃いじめられたことがきっかけでやくざになった(推定)遊び仲間もいました。

  →イヨマンテの夜

 でもあの頃、自殺する子までいなかったのはふたつ理由があるのかもしれません。

 ひとつは学校の他に地域のガキ大将サークルもあって、多くの子供たちが「いじめっ子」でもあり「いじめられっ子」でもあったことです。
 
 学校でいくら成績が悪くても、ガキ大将サークルでは足の速い奴がヒーローであったりして、だれもがどこかで救われる場所がありました。

 ふたつめはユニークな先生が多く、いじめられっ子を守ってくれました。

  →ゆきおちゃん

 今や、しつけも何もかも学校に丸投げ、そして先生をガチガチの管理で縛り、何かあれば大声で非難。。。

 これじゃ、いじめの問題は延々と続くに違いありません。

 いじめの問題は、今の私たちが選んでいる「砦のような生活スタイル」に根源があるのではないでしょうか?

 学校にも、社会にも、もっともっと「寛容」「自由」が必要です。

 学校の先生たちに「いじめの責任」を強く糾弾している人たちが、学校教育をガチガチにしてきたのではないかと思えてきます。

 先生だけに押しつけず、一人ひとりが自分の学校時代を思い出して一歩進めることが必要だな、と思っています。

 内藤大助さんの話を紹介します。実に心にグッときます。


《いじめられている君へ》内藤大助さん

相談はカッコ悪くない

 いいか、絶対にあきらめるな。いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。

 俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。

 北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。

 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。

 中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだ」って叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだけど……。

 高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。

 強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。暴走族に誘われたら、入っていたよ、たぶん。

 そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。

 入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。

 ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。

 「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。

 俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。(ボクシング元世界王者)

参考
 大きい制服の新入生へ