もっと冒険しようよ!

 『はじめてのキャンプ』という絵本をあげたら、五歳の孫が無我夢中で読んでいたよ、と女房が私に語りました。嬉しい!その本、まず私が見たかったな〜。

 「冒険」「探検」、ワクワクする言葉の横綱ですね!

 男の子向けの児童文学といえば、その半分以上はこれらがテーマでしょう。

 私たちがガキの頃は月刊漫画誌全盛でしたが、その中には『冒険王』なんていうのもありました。

 私は『ロビンソンクルーソー』を、たぶん7〜8回は読んでますね。

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 そんな私は先日、わが家にきた孫たちに「冒険」の楽しさを体験させようと、こんな遊びをしました。

 「屋根裏探検ごっこ」「床下探検ごっこ」

 押し入れの天井の板を外し、暗い屋根裏を懐中電灯で照らして見せるのです。

 畳をはずして床下に入れてあげるのです。こちらは換気口から光が入ってきます。

 案の定孫たちは大喜び!でもしばらくすると暗い屋根裏は怖いのか、泣き顔になりそうでした。。。

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 子供時代がなぜ楽しかったのか?

 それは毎日が「冒険と探検の日々」だったからです。

 大人になるとなぜ人は「ろくでもない存在」になっていくのか?

 それは「冒険と探検を怖れる日々」になるからです。

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 経済社会はたしかに便利で効率的な「すみか」です。

 その「すみか」では、あまり変なことを考えず、お上に逆らわず、出来合いの物やことだけを消費し、表面的で無難なお付き合いだけ続けていけば生存を保障してくれそうです。

 実は「家畜」のように。

 そして、いつのまにか目先の便利さを手放せなくなり、どんな邪悪なものでも自分にさえ便利で被害が及びそうもないものなら、なんだかんだと理屈を付けて決して手放したりしません。

 「原発」しかり。

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 電気などない(たった)百年以上も前の世界なら、そんな平凡な暮らしもでもよかったでしょう。

 なぜか?

 それは人々は好むと好まざるとに関わらず「自然」を相手にして「自然」に育まれていたからです。
 
 その自然との格闘の中で、「冒険や探検」に匹敵する経験を無意識に積み重ねて「知恵」が育ち「野性」を研ぎ澄ませていけたのです。

 今や「自然」のかわりに「(単調な)人工物」に囲まれた私たち。

 意識的に「冒険や探検」を経験していかない限り、劣化は果てしがないことでしょう。

 金星人であると思っていた「立って歩くタコ」は、実は未来の私たちかもしれません。。。

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 「冒険」といえば大きいことだけを考えて、無理無理!と敬遠してしまう風潮もあります。

 エベレスト登山やら、月面着陸やら、ヨットで世界一周やら。。。

 私は大それた冒険ではなく、だれでもができる「様々な冒険」があると思っています。

 そして「冒険そのもの」よりも「冒険しようとする心」が大事だと思っています。

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 「様々な冒険」にはこんなことだってあるでしょう。

 「一日お金を使わない」「一日電気を使わない」「通ったことのない道を歩く」「屋根に登る」「庭でキャンプする」「初めての料理をつくる」・・・

 できるだけ文明的?なものから離れて、動物としての「野性」を実感できるような体験が望ましいことでしょう。

 以前ブログで紹介したマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わずに生きるという冒険をして、それを本にしました。

 →現代のロビンソン・クルーソー
 

 今読み直してみると、まるでデフォーの『ロビンソン・クルーソー』をもう一度読み返しているようなワクワク感があります。

 とっても不便な生活の中で、逆に取りもどした味覚や嗅覚や自然への思い。。。なんか読んでるだけで自分も浄化されそうです。

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 「冒険」を経済社会に活かすにはどうするか?

 それは「試行錯誤(失敗)」を楽しむ会社つくりを目ざすことだと思うんです。経営者がおもいきり。

 私は思うんです。経営者というのはみんな「自惚れ」をもっています。

(創業経営者のことで、大会社の後継高性能株主家畜型経営者とは異なります)

 どんな自惚れかというと、「自分は人より発想力と行動力が豊かだから社長をしているんだ」と。

 私の経験から言うと、全く否定は出来ませんが、こんなふうにも言えるのでは?と思っています。

 「社長の発想力が高いのには理由がある。偶然ひとりでやらざるを得なかった人間が独立し、社長というだれからも文句を言われない立場を利用して、おおいに試行錯誤(失敗)を繰り返せたからだ

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 わが大崎市古川の偉人「吉野作造」はこんなふうに言いました。

 『人は機会さえ与えられれば、何人(なんぴと)でも無限にその能力を発揮するものである』

 「試行錯誤(失敗)」イコール「冒険」、これを何人にも与えられる会社、いや社会なら、きっと今より活き活きした(野生的)人生を皆がすごせることでしょう。

 そして野性を取りもどした人間なら、その母胎である「自然」をきっと大事にするでしょう。

 自然の摂理を乱すものは避ける考えを持つことでしょう。

 そんな野生的な社会では「原発」など決して存在を許されないことでしょう。


(宮城県大崎市にある「吉野作造記念館」

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 夏休み、子供や孫たちと一緒に「冒険」「探検」を体験しましょう。

 そして、「冒険」や「探検」というのは「人生のおまけ」ではなく、まさに「人生の本質」なのだということを実感していきましょうよ!

 劣化していく自分を「自然の助け」を借りて救っていきましょうよ。

参考
愉しい!「しっぱいファンド」