ふと思い出す物語

 ずいぶん前に読んだ本で、なぜかふと思い出す作品があります。そのいくつかはとってもマイナーな短編です。

(数年前、古本屋で買ったロビンソンクルーソー)

  思い出すまま書いてみます。

  一種の「自分探検記」なのかな〜。

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 幼稚園の頃だったな〜。

ちびくろサンボ

 小さなサンボを食べようと周りを走り続ける虎たち。(ヒョウとかだったかも?)

 やがて虎たちは溶けてしまい黄色いパンケーキになった。

 バターだったかな?

 いったいどんな味がするんだろう!

 幼かったあの頃、食べたこともないくせに、世界にこれほどおいしいものはないだろうと思った。

 成長してから本物のバターやらホットケーキやらパンケーキやらそれらしきものと出会うが、どこかまだ違う。

 今でも無意識にあの味覚を追い求めている。
 

小学校3年生の頃だったな〜。

ロビンソン・クルーソー

 10回以上は読んだはずだ。

 いつも一番楽しいのは、無人島へ漂着した難破船から彼が役に立つ品々を島へ運んでくる場面だ。

 そのなかでもラム酒の樽を運んでくる、それを味わう、その場面が子供のくせに大好きだった。

 ロビンソンクルーソーになりきっていた。

 ラム酒ってどんなにおいしいものだろう、ハチミツのようなものだろうか?

 味覚の空想は広がっていった。

 今でも「ラム酒」という言葉を聞いただけで、鼻腔のへんがふわっと甘露に満たされるような錯覚を覚えてしまう。

小学校5年生の頃だったな〜。

ある日の一休

 武者小路実篤項の短編だった。

 腹を減らして旅を続けていた一休和尚と弟子の二人があるお寺に入った。

 一休和尚はなんのためらいもなく、仏様に供えられている食べ物を盗み勝手に食べ始めた。

 弟子はそんな一休和尚に疑問を感じ「卑しいことではないですか」となじる。

 だが一休和尚はそ知らぬ顔で「なに馬鹿なこと言ってるんだ」という顔をして弁解すらしなかった。

 そんな話であった。

高校生の頃だったな〜。

太陽

 ロレンスの短編。

 若き母親と幼き娘の二人。

 なにがあったか忘れたが、母親にはつらいことがあって、そのため生気を失っていた。

 療養のために二人は南フランスの海辺の町へ滞在していた。

 地中海の陽射しは強烈だった。

 数週間、母親と娘は海岸で、ただただ太陽の光を浴び続けた

 青ざめた思考は日々強い陽に焼かれ、その色を少しづつ小麦色に変えていった。

 そんなある日、はつらつとした青年(郵便夫?)が彼女に声をかけた。

 母親は何かが新しく生まれる予感がした。

 微笑んだ彼女の頬は明るい色を取り戻していた。

19歳の頃だったな〜。

インディアンサマー

 ヘミングウェイの短編だった。

 海だったか山だったかな〜。

 ヘミングウェイ自身のようなおじいさんが、小屋で寝そべりながら孫に思い出話をしていたような。。。

 そんな情景だった気がする。

 「いのちは尊い」だから「いのちを損ねてはいけない」

 そんな大事な理屈の「たが」が一瞬外れてしまった。

 おじいさんは、ある「若きインディアン」のことを思い出しながら語った。

 その初々しきインディアンの青年は、自分が言っていることを仲間から疑われた(ように思った)。

 そのとたん、何の躊躇もなく、ナイフで自分の「のど」を切り裂いてしまった。

 いのちより自分自身の名誉が大事なインディアンの世界では当たり前のことだった。

 おじいさんは孫に淡々と話すのだった。

 それだけの短編であったが、今でも何か心に引っかかったままだ。。。。

 並べてみると、食い物ネタが多いようです。。。