今朝のNHKで紹介されました。高校生が立ち上げた高校生の「原発意見動画投稿サイト」です。プラスマイナス両面で、あれこれ考えさせられます。。。
プラス面は、私自身が「原発を選択すべき世代はどこか?」ということに気づいたことです。
ドイツの作家レマルクは、第一次世界大戦の経験を「西部戦線異状なし」という本にしましたが、その中にこんなセリフがあります。
「老人が戦争を始め、若者が戦死していく」
原発問題の当事者は、私たち「おとな」ではなく「こども」ではないでしょうか?
ここでいう「こども」とは年齢的なものです。「未成年」といってもよいでしょう。
今にも人間の原子炉である「心臓」が爆発しそうな、あるいは制御室である「脳みそ」がメルトダウンしそうな、そんな「年寄り」たちが自分たちの利権やら目先のことだけを考え、「原発守れ!」と叫んでいます。
経団連というペントハウスに住む「古だぬき」の面々が、それこそ「タヌキ顔」の親分のもと、逆噴射しまくりです。
でも、放射能の影響や廃棄物の問題などを残されていく一番の当事者は「こども」たちです。
もっともその影響を蒙るのは「赤ちゃん」「胎児」です。 もっといえば、「精子」と「卵子」です。
彼ら「こども」たちにこそ「原発」の存続を決定する権利があるのではないでしょうか?
そんな「こども」の中の「高校生」が、「俺たちにも言わせろ!」というのは実に当たり前のことに思えてきました。
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マイナス面は、その動画の内容です。
現在12本掲載されていますが、見る前の想像とは違いました。
動画のおおよそ6割は、政界や経済界の原発擁護、またはその論点にしたがった「保守的?」な傾向が目立つように感じました。
生命科学的な観点や廃棄物の問題についてはあまり考えていないようです。
「原発がある=電力が維持できる」という固定観念が目立ちました。
核について「核抑止力」という「きれいな政治用語」で考えているのも目に付きました。
高校生なのに「ミニおとな」「ミニ年寄り」かな?と少なからず落胆しています。
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有名な進学校の生徒が多いようで、彼らの先輩たちがエリートとして「原発」を推進してきたわけです。
そのルーツが何となく感じられたというのは、私の偏見でしょうか?(たぶんそうでしょう)
はじまったばかりなので、明快な主張をしやすい(ある意味単純な)「原発擁護または中立」派が最初に多く集まったのかもしれません。
今後の意見の分布を興味深く見て行きたいと思います。
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もし、「原発」などの将来に大きな問題をはらむ選択を、より当事者となる未成年世代が決定できるシステムができたとしたら、私はきっとうまくいくと思います。
なぜなら、人は「おとな」になるほど良き選択はできにくくなってくると思うからです。
赤ちゃんから大人への過程、それは、「生き物」→「人間」→「社会人」→「会社人」という過程だと思うからです。
私たちにとってもっとも有意義な選択とは、最初の「生き物にとって善きこと」だと思います。
今大人社会の選択のベースとなっているのは「会社人=経済」としての立場(経団連など)と「社会人=政治」(政治家など)の立場です。
「おとな」になると逆方向への進化はとても難しいのです。
「金銭」のしがらみや「集団」のしがらみなどで、今今のことしか考えてはいけないと無意識に促されていくのです。
まだ無垢な、つまり「生き物」「人間」としての考えが出来る世代が私は「こども」だと思っているのです。
仮にあまりよくない決断をしても、次の決断は彼らの「こども」たちだとすれば、きっと少しづつ「生き物にとって善きこと」の方にシフトして行くに違いありません。その要素が多い世代なので。
今の問題は、「おとな」が死ぬまで世代交代せずに、未来に関わる問題を墓場の寸前で、しかも「自分のために」考えているということです。
高校生たちには、「おとな」の亜流ではなく、「生き物」「人間」としての瑞々しい視点から発言をしてほしいものだと、心から望んでいます。