まぶい金髪女性が凡人サミットで尋ねました。「現代社会を一言で言うなら?」凡人ジャパン代表の一人であった私はこう答えました。「スーダラ社会だな、やっぱし。。。」というところで目が覚めました。
その後セルフ夢分析をしてみました。
なぜこんな夢が?
原因は一昨日届いたこのハガキでした。
個人でかけている生命保険の「契約内容のお知らせ」(つまり現状資産価値の報告)です。
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なんと!資産価値である「解約返戻金」が、たった一年で147万が230万に!
しかも年払いなのに毎月変動!
「あったりまえでしょう。株価が上がってんだから、それに日々、いや秒単位で価値変動してんだから」
私は、何とも変でいや〜な気持ちがしてきました。
上がりゃいいってもんじゃないでしょう。
こちとら努力も何にもしていないのに、勝手に上がり下がりして一喜一憂人任せ。
リーマン末裔任せのタイタニック号。
だからこの世は「スーダラ社会」だな〜と思ってしまうんです。
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「スーダラ」ってなに?
それは植木等のスーダラ節のことです。
「わかっちゃいるけどやめられない♪ ほ〜れ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ・・・♪」
いっときこんなに数字が上向くんじゃ、「わかっちゃいるけどやめられない♪ 銭ゲバの日々」になるのも当たり前。
もし下がれば下がるで、上がるまで「わかっちゃいるけどやめられない♪」。
永遠に続く全世界スーダラ節。
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しかし。。。
こんなにも「金」というか「金のような記号?」が上がり下がりして日々価値が変わる世界って、私たち当たり前のようにしてますけど、実は狂ってると思いませんか?
たとえば、自然の価値、食い物の価値、人の価値、仕事の価値が日々ジェットコースターのように上がり下がりするとしたらどうでしょう。
しかも噂話とか、大統領のくしゃみ?とかで。
ありえないことだし、あってはならないと誰でも思いますよね〜、たぶん。
しかも、この上がり下がりを「秘密の技」を駆使して制御する、それが政治の最も大事な仕事だというんですから。。。
この世は所詮カジノ社会、「わかっちゃいるけどやめられない♪」のでしょうかね〜?
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そんな賭博を促す「利息」の原理は「確率論」と同じように、かなり危なくあやしいしろもの。
そろそろ、賭博をやめてまともな仕事しませんか。中毒症の政治屋さん、経済屋さん、小金持ちさん?
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私のバイブル『エンデの遺言』をもとに以前私が書いた記事を載せてみました。
もういちどみんなで(本来の)お金について考えてみませんか?
1枚の金貨の2000年後の利子
「エンデの遺言」では、エンデの思想に近い人々や学者の話が様々紹介されています。その中で「利子ともインフレとも無縁な貨幣」という本の著者であり、建築家でもあるマルグリット・ケネディーという方が話す複利計算の話はとても衝撃的です。以下「エンデの遺言」から引用します。
ヨゼフが預金していたら?
「指数的な成長を示す曲線Cは最初非常にゆっくりと経過し、やがて着実に増加して、最後はほとんど垂直な傾きの量的増加に移行します。自然界においては、こうした成長は病気や死に関わるところで見られます。たとえば癌は指数的な成長に従います。だから、たいてい癌を発見したときは、もはや治療不可能となっています。
利子が利子を生むという複利というのはまさにこの指数的な成長を示すものです。それがいかに非現実的なものであるかは、次の例でおわかりいただけると思います。
ヨゼフが息子キリストの誕生の時に、5%の利子で1プフェニヒ(1マルクの100分の1)投資したとします。そしてヨゼフが1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4千万個、引き出すことができるのです。永久に指数的な成長を続けることが不可能なのは火を見るより明らかでしょう」
「このまま利子が膨れあがっていくとしたら計算上、遅かれ早かれ、だいたい二世代後に、経済的な破滅か、地球環境の崩壊かのいづれかへと突きあたります。それが根本問題です。信じる、信じないの問題ではなく、誰でもコンピュータがあれば計算できることです」
以上、本より引用しました。1プフェニヒが1円か1万円かわかりませんがどちらにしても荒唐無稽な結果です。念のため私もパソコンで複利計算をしてみました。
1万円を5%の複利で計算したら、10年後には16289円、30年後には43219円、100年後には131万5013円となりました。預金ならともかく借金ならこりゃえらいことです!
バブルの頃、保険や預金の金利が5%というのは当たり前でしたが、とんでもない話ということが今更ながらよくわかりました。
また聞こえてきましたよ、いつもの問いかけ。
「おまえはお金も資本主義経済もすべて否定するのか!」
いつも「1」か「0」かの二者択一デジタル発想ばっかしの人だらけ。。。
考え方までコンピューターに乗っ取られていることに気づかない。
「ハイブリッド」「案配」「バランス」「ウェイト」「段階」「すきま」「組み合わせ」とか、アナログ思考なら多様にできるはずでしょうが!
食事も運動も偏っては病気やけがのもとになります。
いったい現代社会は何に偏りすぎているか気づくところから始めないと、いつのまにかスーダラ節さえ歌えない社会になってしまいますよね。