会社のパートナーと昼飯を食べながら、あれこれ仕事の戦略について語り合いました。「弱いことを逆にメリットにしていきたいもんだね」という話になりました。政治にも似たようなことがあるな〜と感じました。
私は小さな会社を経営しています。
いつのまにか23年にもなりました。
つくづく思います。
「いつまでも小さいもんだな〜」と。
小さい会社ですから、成長志向の強いライバルには追い抜かれ、取引先にも頭が上がらぬ日々を過ごしています。
私の器が小さいのでそうなのですが、もうひとつ理由があります。
それは私が偏屈者なので成長や拡大路線が性に合わず、消極的な商売をしているからです。
でも年々そのほうがずっといいな〜と思えるのです。
なぜかといえば、あらゆることに対して「工夫せざるを得ない」からです。
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人を増やしても、景気が悪くなれば無理なノルマを課したり、リストラもありうるし。
あげくは、器が小さいくせに上場なんかめざしたら(杞憂ですが)、株主様が怖くて好き勝手ができなくなるし。
それより小さくて弱いけど、今あるものでどうにかできないか、人を増やさず何か工夫ができないか、そっちを真剣に考えよう。
その工夫こそが、わが社の特長となっていくはずだ。
それに少人数なら手厚くできるし、経営の無理も少ないはずだ。
そんなふうに考えてきたし、これからますますそう考えていこうと思っているんです。
実際、弱いゆえに独自に工夫してきたあれこれが、ユーザーや取引先にもわが社の特長としてご理解いただけるようになってきました。
強さ、大きさを競って戦いに勝つことよりも、弱さを逆にバネにして戦いに負けないこと(=闘い)のほうがずっといいと心底思えるのです。
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政治や国際関係にも似たようなことがあると思うんです。
「挑発されたらやり返せ、なめられるな!」「どこにも負けないように強くなれ」「くびきをはずせ!」
と、啖呵を切りたいのはだれでもがそうでしょう。かく言う私だって。
でも、結局その後どうなるか?
相手がそうならこっちは倍返しだと、際限のないチキンレースになるのではないでしょうか?リスクもコストも。
私たちは「今のまましか選択できない」と覚悟を決めれば、次のように考えることでしょう。
・どのように戦う(闘う)べきか?
・どのようなことを工夫すべきか?
・どのようなスパンで考えるべきか?
エネルギー問題も同じだと思います。
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不自由をあえて受容し、そこから必死にできることを考え工夫していくことは、誰にも真似できない独創価値を生み出していけると思うのです。
それは競争など成り立たない「オンリーワン」として、私たちを守り高める最大の宝になると思うんです。
一人一人の人間だって、政治だって、経済だって同じだと私は思うのです。
「弱きことを覚悟したとき真の強さが生じる」のじゃないのかな〜〜。
様々な考えはあると思いますが、一つの方法論として述べた次第です。
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人の生き方はそれぞれの生い立ちや自分の持つハンデなどに左右されます。
それをプラスに考えていくことも大事だなと思っています。
三年前、私は会社のブログにこんな記事を書きました。
2010年6月 8日
「一病息災」
4月の半ばから電車通勤にしました。
というのは毎日一万歩歩くためです。
私は幼少の頃、股関節脱臼で1年間ギプスをしていました。
この障害を持つほとんどの人が50歳を過ぎる頃から歩行が大変になってきます。
歌手の前川清さんも同じで、彼は昨年人工股関節にする手術をしました。
私も実は、昨年の今頃は杖をついていました。
でも恥ずかしくて何とかしたいと思っていましたが、切ったり張ったりは大嫌いなので手術は論外です。
そこで、昨年秋から一念発起、Wii、プール、自転車などあれこれで必死のリハビリを行い、ついに3ヶ月後1キロくらい歩けるようになりました。
そして今は、朝6時起きして電車通勤をしています。
毎日必死にびっこたんこに歩くので汗だくですが、おかげで腹はペチャンとなりました。
脚が悪いのは小さい頃からコンプレックスでしたが、今ではこの脚のおかげで健康を保てるんだと心から感謝できるようになりました。
まさに一病息災です。
時々、到着駅の古川駅でコーヒーを飲んでから、最後のひとふんばり、会社までの1.2キロを歩き始めます。