原爆を語り継ぐ小百合さん

 忘却は人間にとって一番貴重な能力と言う方もいます。でも忘れてはいけないことがあるのではないでしょうか。自分たちが「人間」であり続けるためには。
 8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が落とされました。

 日本人、いや人間にとって、とてもとても大事な二つの日付けです。

 昨日の朝日新聞で、吉永小百合さんがインタビューに答えていました。

 吉永さんは1986年以来、請われるまま日本中の多くの学校や会場を訪問し、原爆詩の朗読をしてきました。

 原爆を語り継ぐために。。。


(1998年、広島で)

思いを受け止め、伝えたい

 ――朗読の手応えは。

 ・・・私の力は小さくて、大きくならないんですけど、例えば朗読を聴いた学校の先生たちが子どもたちに教えてくださり、その時の生徒が今、先生になって、ご自身が子どもたちに教えてくださっている。

 そういうことが大事なんですね。

 受け止めてくださった方が、また次に伝える。

 それが被爆者の方たちの一番の願いだと思うし、ご年齢的にもなかなか、先頭に立って動けない場合もあるから、私たちがその思いを受け止めて伝えていかないと。

 そうすると、全然そういうことを知らない、知ろうともしない人たちにどうやって分かって頂くかが一番の問題でしょうね。

 スティーブン・オカザキという日系アメリカ人の監督がドキュメンタリーの冒頭で渋谷の女子学生にインタビューして、『1945年8月6日に何が起きたか知ってる』って聞いたら、『えー、知らない、地震?』って。鳥肌が立つほど悲しかったんですよね。

 そんなことが日本であってはいけない。みんながあのときの痛みを分かろうとしないといけないと思います。


電力よりも命が大事

 ――今年の東京都知事選で、脱原発を訴えた細川護熙元首相を応援するメッセージを出しました。

 日本の原発の事故を見て、ドイツでは原発をやめましょうと決めているわけです。

 でも、日本はそうじゃない。やめたいと思っている方はたくさんいると思うんですけど、声を出す人は少ないんですよね。

 だからやっぱり、自分が思ったことは声に出したい、意思を伝えたいと考えました。

 仕事をしていくうえでネックになることはこれからあると思いますけど、人間の命のほうが電力よりも大事じゃないか、という根本だけは忘れたくありません。

 小百合さんはこのインタビューで、次のようなことも語っています。

 (↓青色の質問文は編集して掲載しました)


どんな状況でも、核兵器はノー

 ――核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱えています。

 どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい。

原発はやめなくてはいけない

 ――原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題と向き合っています。

 本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない。

 でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。

 これだけ地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。どうやって廃炉にしていくかを考えないと。

 まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。

 そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです。

今の流れはとても怖い

――自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたが。

 今の流れはとても怖い。

 大変なことになりそうな気がしているんです。

 政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。

 一人一人の権利を大事にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければいけない。

 核について考えるとき、2種類の出発点があるように思います。

 ・広島、長崎、福島の惨禍から考える人。

 ・核を威嚇や効率の道具として考える人。 

 ある戦場写真家はこんな言葉を遺しています。

 「ミサイルを撃つ場面は皆見ている。その後のことは想像するしかない」

 人は、撃つ場面から言葉を紡いでいくべきか、撃ち込まれた惨禍から言葉を紡いでいくべきか?

 言葉(思想)の出発点を大事にしたい私は、吉永小百合さんの言葉の出発点にとても共感するのです。