クルマとチャリ

 昨日は久しぶりに自転車通勤しました。土手道を片道8キロ、30分づつの自転車乗りはちょうどいい運動です。

(古川から小牛田へ帰り道)

ノボ村長の世相天気図

クルマとチャリ

 秋の自転車乗りはとても爽快だな〜。

 だいたい数メートル先の道路に視線を釘付けにしてるんだけど、時折ゆうゆうと流れる川や、わきに広がる畑を眺めながら走るのが楽しみさ。

 土手道にはクルマは入らないし、歩く人なんかほとんどいない。

 思う存分自然を満喫できる「すぐそこにある穴場」だよ。

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 さて、市内に入る前の最終関門、ちょっと長い上り坂にさしかかった。

 助走をつけて坂道に入り、軽いギアに切り替えて上り始めた。

 そうしたら、上から自動車がやってきた!

 チャリは上り坂が大変だ。

 さらに途中で止まると、再び上り始めるのはとてもきついことなんだ。

 だからクルマが止まってくれるだろうと勝手に期待してペダルを踏み続けたんだよな〜。

 ところがクルマはそのまま下りてくるじゃないか。。。

 僕はぎりぎりクルマの脇を走り、何とか上りきった。

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 車の運転手は一人乗り。

 窓の奥に垣間見えた顔はこう言っているように見えたよ。

 「なんだ、止まりもしないであぶないじゃないか!クルマが優先なんだよ」

 乗ってる物が違うだけで、こっちも一人、向こうも一人なんだけどな〜。

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 同じようなことは歩行者とクルマの間にもしょっちゅう見ることができる。

 横断歩道を渡る小学生が渡り終えた後、振りかえってクルマに深々と礼をする光景。。。

 こんな光景を美談のようにしてラジオに流すJAROのコマーシャルもあってびっくりしたもんだ。

 横断歩道で待ついたいけな小学生を目の前にして、紳士かなんか知らないが、お慈悲で停車してあげたらしい。

 その厚意に感謝した小学生が丁寧に礼をする場面を見て「日本人はすばらしい」って(例の)「誇り」とやらを感じたらしいよ。

 なんか違うんじゃね〜の、JAROのおんちゃんたち?

 横断歩道はもともと歩行者優先。

 クルマに歩行者がお礼をするって本末転倒だし、クルマ側になにか無意識の優越感があるんじゃない?

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 僕もクルマの運転をするので、このブログ書きながら「あ〜そうなりがちだよな〜」って思う。

 クルマ乗りの傲慢ってやつを時々自転車乗りをしたときに気づくんだよ。

 移動はほとんどクルマだけという人に、こんな「気づき」はないだろうな〜。

 恵まれた境遇にいる者の「無意識の傲慢」てやつだな。

 私自身も含め、ほとんどすべての人がそういう意識になっていくことの怖さを感じてしまう。

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 日々の交通事情さえ本末転倒、しかもだれもそれを本末転倒だと思わない社会だ。

 だから政治が本末転倒したって、何とも思わないのさ。

 憲法が「政治家をしばる掟」であることから、「国民をしばる掟」に本末転倒したって。

 「国民のための国」が「国のための国民」に本末転倒したって。

 もう本末転倒は当たり前の世の中みたいだ。

 どうせならもう一回転「本末転倒」し、元に戻ってほしいと思うこの頃だよ。

 せめて僕だけは、本末転倒ならぬ「本体転倒」しないように気をつけてチャリをこごうっと!