国立大学から人文科学系の学部がなくなる可能性があるという記事を読みました。文部科学省(つまり現政権)の意向らしいですが、タマゲてしまいました。。。
→国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれない
たぶんこんな理屈なんでしょうね。
「国立大学は国民の税金でなりたっている。
だから無駄使い?を減らすべきである。
それには社会的に有用性の高い分野だけに集中するのが望ましい。
すぐには金を生まない教員養成系・人文社会科学系は不要である。
これらの学部が必要というなら私大で勝手にやればいい」
・・・・・・・・
現在の文部科学大臣は教員養成系学部(私大)の出身らしいです。
文部科学省の官僚の面々も文系出身の方は多いことでしょう。
自らが学んだ学問は「社会的に有用ではなかった」と思っているのでしょうか?
・・・・・・・・
国が教育や思想の要不要を決めるというのは大変なことです。
なんか国からこんなふうに決めつけられているように感じます。
「リカケイの君は国にとって重要だ。
ブンカケイの君は国にとって役立たずだ」
ブンカケイ出身の方はみんな「そうだ、そうだ!」と思うのでしょうか?
そんなリカケイ偏重国家の行く末を妄想してみました。
ノボ村長の妄想物語
ガクブチ国家「ニッポン」
2015年、大惨事アベ内閣はついに国立大学から文化系学部を廃止することを決めた。
やりたい放題の政治がここ何年も続いてきたわけだが、これには次の心理的理由がある。
政治も株と一緒で、まもなく落ち目がやってくる。
その前に急いでやりたいことをやっておこう。
後始末は次の政権さ。
・・・・・・・・
そして彼らの夢見る「日本国家株式会社」の仕上げは、教育を「単色」にすることだった。
国家にたてつくような危険思想が生まれないように、
さらに国家の道具としての性能が高い国民を量産できるように、という目的がそこにあった。
性能の高いリカケイ人間を増やし、軍事を含む「ものつくり」で国際競争力を飛躍的に高めたいということだった。
先祖代々「国家」を飯の種にしてきた世襲政治家の考えることとして当然なのかもしれない。
・・・・・・・・
あるブンカケイ的老人はこんな比較をしながら嘆いていた。
「戦前の日本の農家はとても貧しかった。
農家を継ぐ長男は、学問したくても親にこう反対されたものだ。
『学問なんぞして田植えや稲刈りが出来るか!今わが家で必要なのは、おめえの手足だ。明日食う米のことだけ考えろ!この役立たずめ』
実は「国家」も昔の農家のように、とても貧しくなっているのだろう。
政治家は自分を親のように思い、子供と思っている国民にこう言ってるようだ。
『ブンカケイの学問なんぞで飯が食えるか!今わが国で必要なのは牛馬のごとく文句も言わず田畑を耕すリカケイの奴だけだ』
この国の行く末が見えるようだ。。。」・・・・・・・・
それから20年。。。
彼らの思惑どおりに社会改造は進んだ。
様々な技術発展をなしたニッポンは戦後の高度成長時代のような輝きを取り戻していた。
しかし、それはいっときの夢だった。
せっかくの技術はすぐに真似され、かつての中韓のように中南米やアフリカ諸国にコスト競争で敗れ精彩は失われた。
もっとも致命的だったのは、新しい価値を持つ商品を発想できる人間がいなくなっていたことだ。
・・・・・・・・
落ち目になり始めた頃、外国からニッポンはこう揶揄された。
「ニッポンは額縁国家だよ」
つまり額縁(ガワ)を作るのは得意だが、中に入れる絵(中身)が何にもない国家だという意味であった。
いくら高性能のテレビジョンをつくっても、放送番組はみな外国製。
いくら高級車を作っても設計コンセプトやデザインや内装はすべて外国製。
ブンカケイテキ発想力を持った人間はニッポンには居づらく、皆外国へ移住してしまったからだ。
今やニッポンは、諸外国のブンカケイ的人間が発想した画期的製品の部品を作る「下請工場国家」となっていたのだった。
・・・・・・・・
やがて食えなくなりはじめたリカケイの面々は、性能高き「傭兵」として世界の紛争地で重宝されるようになっていった。
それはかつてのアメリカで起きたことととても似ていた。
冷戦終了による核軍縮で失業した原子核技術者という典型的リカケイエリートが、ロスアラモスを離れウォール街に転身したのと同じ光景だった。
クオントと呼ばれる彼らは原子核理論を金融工学に応用し、とんでもないヘッジファンドの理論を編みだし世界経済の一世を風靡した。
しかしそれはまもなく破綻し、あの「リーマンショック」という未曾有の災害を引き起こしたのだった。
・・・・・・・・
傭兵に転じた「ニッポンリカケイ」も、彼らの小賢しき性能ゆえ、いつかとんでもない惨事を引き起こすに違いないだろう。
政治家たちもようやく「ブンカケイ」は「国家」にとっても必要なのだ、ということを感じ始めていた。
不幸にもニッポンの政治家たちには「能力」と「性能」の違いを知る教養がなかったのだ。
教養がない人間は、失ってみないと大事なことがわからないのだ。
しかしその後のニッポンにとって、失われた二十年の損失はあまりに大きかった。