ワンマンという表札の家

 秋日和、わが家の窓を開けてみれば、ご近所におもしろい表札のプレハブ的2階建てハウスがあります。

 どうやら中古品や廃材を利用したしたセルフビルドのようです。

 その建物は、母屋と別に作った若いあんちゃんの一人部屋らしく、二階には「ワンマン」の表札が!

 なるほど「洒落」ですね。


(二階入り口左上に「ワンマン」の表札が見えます)

 数年前からあったはずの建物なのにさっぱり注意していませんでした。

 見ているようで見ていないんですね〜、私たちって。

 思い起こしてみると、ときおり昼間や夜遅くにエレキギターの音が聞こえていました。

 エレキは習いたてらしく、同じコードが延々と続くのには辟易したものです。

 それに猟犬みたいな犬も繋がれていて、時々吠え声がうるさくて、というより買い主の犬を叱る声がうるさくて困ったものでした。

 ところがここしばらく犬の姿も見えず、それにあんちゃんの姿さえ見えず。。。

 犬は死んだのかな〜? あんちゃんのほうはどっかアパートでも借りたのでしょうか?

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 さてあらためて垣根の上からご近所を眺め回してみると、わが家の周りは田園風景でけっこういいじゃない、と思いました。

 灯台元暗しというのでしょうか、身近な良さに気づかないでいることは多いようです。

 最近は一人暮らしの老父が心配であまり遠出もせず、半径40キロ圏内が私の行動範囲になっています。

 でも身近な範囲をよく知りよく楽しむことが出来れば、もっともっと狭い範囲でも私たちは十分満足できるのではないのかな〜、と思えてきました。

 ここで「小さな半径の中で偉大な作品群を創造した二人」のことを思い出しました。

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 一人は宮崎駿さんです。

 鈴木敏夫さん『仕事道楽 新版』にはこんなことが書かれていました。

 彼(宮崎駿さん)はよく「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」と口走ります。

 彼のあの豊かな発想はどこから生まれるのだろうと、みな興味津々だと思いますが、じつは彼の情報源は二つしかない。

 友人の話、そしてスタッフとの日常のなにげない会話です。

 宮さんはこう言うんですよ、「ジブリで起きていることは東京でも起きている。東京で起きていることは日本中で起きている。日本中で起きていることはたぶん、世界でも起きているだろう」と。

 そういう理屈で、題材は半径三メートル以内に転がっているというわけです。

  →「千と千尋」がキャバクラ?

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 もう一人は画家の熊谷守一です。

 この方の人生はある意味壮絶です。

 重病の子供の薬代だけでも欲しいと妻が絵を描いて売ってくれと懇願しても、決して描かず(描けず)、彼が48歳の年、最愛の息子次男の「陽」を4歳で亡くしました。

 危篤だった陽を枕元でデッサンし、すぐさま自室に入り夢中で油絵に描く守一。。。しかし。

 「次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、描いているうちに“絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました」


(熊谷守一「陽(よう)の死んだ日」大原美術館)

  →一番悲しい絵

 天才の「業」を見る思いです。

 その後しばらくして守一の絵は変貌します。

 形態を簡略化した抽象画のような絵に。

 さらにその後21歳の長女も亡くした守一。

 晩年、彼は自宅の庭の雑草の中に日がな過ごし、虫たちを観察し彼らと暮らしました。

 wikipediaから一部引用します。

 この後、熊谷は東京豊島区の自宅から一歩も出なくなった。

 わずか15坪の小さな庭が彼の世界の全てになった。

 その小さな世界に息づく様々な草花や虫、そして小さな動物たち。

 熊谷は身近な命の輝きを見つめた。独特の絵の世界は、こうして完成した。

 そこには熊谷の命を見つめる優しい眼差しがあふれている。

 一本の線と面に宿る大きな力。熊谷はその独特な画風も「下手も絵のうち」と表現している。

 熊谷は「下手といえばね、上手は先が見えてしまいますわ。行き先もちゃんとわかってますわね。下手はどうなるかわからないスケールが大きいですわね。上手な人よりはスケールが大きい」と語る。

 97年の生涯のうち、晩年の30年間は全く外出せず、わずか15坪の庭の自宅で小さな虫や花を描き続けた。

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 こうしてみると私たちの目のレンズをその距離に合わせれば、半径3メートル以内というのも実に豊かな世界のようです。

 遠くに行かなくたっていいんだ、身近なところで豊かなものを見いだすこともできるのだ、というのは実に嬉しい「気づき」でした。