ベティー先生の涙

 天高く、思い出も透きとおるような秋。あれから半世紀も経つというのに、くっきりとよみがえるのは、どういうわけか小学校の頃の思い出。そして人はみなこの時代を「心のふるさと」にしているに違いありません。
 今日は小学校三年生のときの思い出話をひとつ。

ノボ・アーカイブス

ベティー先生の涙
 

 小学校一年から四年まで担任はみんな女の先生だった。一人一人の個性がそれぞれ違うので、思い出のコントラストが鮮明だ。


 三年生の時の担任は吉田先生という方だった。小柄で品がよく、着ている服もどこか垢抜けていた。メガネをかけていたが、とてもよく似合っていた。メガネの奥には柔和な目があり、ちっとも冷たい感じではなかった。落ち着いたアルトの声が大人の女性を感じさせた。


 今思うと、この時代の先生たちは皆四十歳以上に感じてしまうのだが、よく考えてみるときっと三十半ばくらいだったのではと思う。それだけ先生たちを大人に感じていたのだが、実際、今の年代より十歳は精神的に上のような気がする。


 吉田先生のニックネームは「ベティー」だった。ずいぶん前に私たちより上の生徒たちが付けたらしい。そして同級生の多くがそのニックネームをお似合いと感じていたものだ。吉田先生にはどこか都会的な「色気」があった。


 小学生のくせに、と思う人もいるかもしれない。でもその人は自分の幼少年時代をきっと忘れているのだ。幼稚園の頃からトイレには相合傘が書かれていたし、その頃気になった娘は、大人になってもやはり魅力的なままだ。


 先生の机は教室の窓側にある。ある秋の日の午後のことだった。放課後しばらくたって、教室に生徒は誰ひとりいない。私は忘れ物をしたので一人教室に戻った。そうしたら吉田先生がたった一人、机に両手でほお杖をつき窓の外を眺めている。何かとてもさびしそうで、教室に入るのがためらわれるようだった。


 そっと、教室に入っていった私の気配に気づいて先生はこちらを見た。その目は真っ赤だった・・・めがねを外した先生の顔をこの時初めて見たような気もする。先生は私を手招きした。私が近づくと先生は私を自分の胸にしっかりと抱いてすすり泣くのだった。しっかりと抱かれていた私は、身動きひとつしてもいけないと思い、時間が止まったような格好を続けていた。


 しばらくして先生は「ごめんね。どうしたの?忘れもの?」と、いつもの風にやさしく私に話しかけてきた。「はい、え〜と○○を忘れてしまって(今ではなにを忘れたか思い出せない)」「そう。気をつけて帰ってね」とハンカチで目をぬぐいながらも微笑んでくれた。


 思い出の光景はここまでである。あれから半世紀経つ今でも、あの日の先生の思いがロマンチックなストーリーとなって、あれこれ空想してしまう。実は、その頃も今でさえも吉田先生が結婚していたのかどうか知らない。どこかそんなことを考えさせないような、知的なエロチシズムが先生にはあった。


 子供の感性はとても敏感だ。ベティー先生に対して子供たちも、無意識に母親とは異なる「おんな」を感じていたにちがいない。今でも先生と似たアルトの声を聞くとゾクッとすることがある

(2011.10.24)

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