お江戸の美人も世につれて

 今から50年ぐらい前の古い映画を見ると、洋画も邦画も女優さんの体型が今と違うな〜と感じさせられます。進化論ではどのように説明されるのかな〜?
 杉浦日向子さんの『一日江戸人』に、お江戸の「美人列伝」がありました。

 お江戸の時代も数十年単位で美人さんのタイプがだいぶ変わったようです。

 と言いつつ、真実に気づきました。

 女優さんの体型が変わったのではなく、美人の基準が変わったんですね。

 同じ体型はどの時代にもいて、その時代の基準で美人とみなされた体型の人が女優(江戸では錦絵のスター)になれたんですね。

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 それでは日向子さんに大江戸美人ツアーのガイドをお願いいたしましょう。

 (勝手ですが、読みやすいように小見出しをつけました)

流行り短きポッピン娘

 江戸時代の美人と言うと、誰もが即座に思い浮かべるのが歌麿の大首絵。

 有名な「ポッピンを吹く女」などの、下ぶくれで、小さい目、もつたりとした鼻に、さくらんぼのような唇。

 ところが、この顔の流行ったのは、ほんの十年たらず。

 江戸の二百六十年間を通して、あの顔がモテたわけではありません。

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1.清純派のお仙から始まる

 初めて登場した美女は、江戸笠森稲荷社前の水茶屋で働くお仙という娘でした。

 人気絵師・鈴木春信の描く彼女は、抱きしめれば折れそうな手足と、幼さの残る顔の、典型的な清純派のイメージです。

 原田知世ちゃん、沢口靖子ちゃんなどが、現代ならばこのタイプでしょう。

 これが錦絵に描かれた「笠森お仙」ですね。

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2.続く流行はスーパーモデル

 続いて鳥居清長が九頭身から十頭身という、すらりと背の高い健康美人を措いています。

 お仙が小鳥のような愛らしさとすれば、こちらは鶴のようなおおらかさがあります。

 眉はぐっと濃くなり、妖精のようなはかなさは消え、澄んだ切れ長の目と、愛矯あふれる口元は、明るくおきゃんな町娘の躍動を伝えます。

 故夏目雅子さんや、もう少し若いころの松坂慶子さんが、さしずめこのタイプに属するでしょうか。

 これが錦絵に描かれたお江戸の「スーパーモデル」ですね。

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3.グラマラスな歌麿美人

 更に肢体がグラマラスになると歌麿の時代となります。

 中でも有名なのが、浅草寺の茶屋の難波屋おきた、両国のせんべい屋の娘・高島屋おひさ、芸者の富本豊雛の、いわゆる寛政三美人。

 三人の共通項は、おっとりした中にも、見つめる目を見つめ返すような一途さがあって、こんな娘と差し向かいで飲んだら、さぞや、お酒がうまかろうと思わせるところです。

 名取裕子さん、萬田久子さんがこんな感じですか……。

 彼女たちが「寛政三美人」ですね〜。いいじゃないですか。

 あっそうそう、ブログの最初に出てきた「流行り短きポッピン娘」もこの時期の美人です。

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4.妖しき退廃の凄み美人

 続いて台頭してくる美女は、退廃派とでもいうのか、一種凄みが出てきます。

 渓斎英泉がその姿をとらえていますが、眉根が寄って下唇の突き出た細面。

 姿勢悪く胴長の六頭身に甲高足、指の型悪く、最悪のプロポーション。

 ところが、これが渋い小紋を着て、しどけなく帯を結ぶと、ゾッとするほどの色気が出るからフシギです。

 性格的には刹那的で奔放、男とは別次元の生物だと全身で主張しているような感じです。

 このタイプの人が今一寸思いつかない。つまりまだまだ平成は元禄の時点で、平成化政までには間があるということでしょう。

 渓斎英泉で画像を検索すればほとんど「R−18」! (エログロ的退廃の魅力は各自ネットで検索してくださいね)

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 ま〜なんと変遷があったことでしょう。

 「アジアン系純情少女」から「ロシアン系スーパーモデル」、そして「欧米系グラマラス」、最後を飾るは「世紀末系グロテスク」。

 お江戸の耽美主義の豊穣さと、江戸時代の長さを知る思いです。

 さて、この本が出版されたのは平成10年ですから、今からもう17年も前です。

 引用された現代の女優さんたちも、それぞれ年齢を重ね変遷をたどりました。

 にも関わらず、いくら外見が変わっても、かつての彼女たちの輝きを知っている世代なら「なるほど!」とうなずくことでしょう。

 しかし、かつての彼女たちの美形を知らぬ世代には想像もつかぬ話でしょうね。

 「天は二物を与えず」ならぬ「時は二物を与えず」かも。

 こんなことを書いたらクレームになるかもしれませんね。。。