「名声は求めて得られるものではない。」とゲーテは語りました。私たちは「名声」と「有名」の区別がつきにくくなっているのかもしれません。
「ゲーテの深い言葉」第16話を書きました。
『ゲーテとの対話』を読みながら、心に響いた数々の言葉をこのブログに書き写しています。
とても自分自身の滋養になっていくのがわかります。
穏健で自然体なゲーテの話はじんわりと心に沁みてきます。
そして、「人生の目的とは、自分自身の中に灯をともすことだよ」と教えられているような気がします。
次の文章は、ゲーテが敬愛し仕えた亡き大公(ゲーテより十歳下)の思い出話を、エッカーマンに(時おり涙ながらに)語している場面にありました。
岩波文庫『ゲーテとの対話』下巻p285
1828年10月23日「あの無頓着な、飾りけのないお姿を見たとき」私はいった、「大公は、名声を求めたり偉ぶったりする方ではないと、思いました。まるで、ご自分の物言わぬ才能だけで、それ以上何の助けも借りずに、有名になられたかのようです。」
「それが本当なのだ」と、ゲーテはこたえた。「薪が燃えるのは、その中に燃える要素を持っているからだ。人間が名を顕すのは、その人に有名になる素質が備わっているからだよ。名声は求めて得られるものではない。それをどんなに追いまわしたところで、無駄さ。利口に立ちまわって、いろいろと策を弄し、まあ一種の名声を挙げることはできるかもしれないが、心の中に宝石がなければそれは空しいもので、長続きするはずもないよ。」
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ゲーテはこのようにも語っています。
「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ」
「私たちの長所は、ある程度まではひとりでに育つ。しかし、私たちが持って生まれた素質の芽生えは、ふだんから手塩にかけていないと、たくましくはならない。それを同じように長所にするには、特別の手入れがいるものだ。」
あらゆることでパッケージ(包装)偏重の現代、ゲーテの「そんなものより自分の中身でしょう!」という言葉は、とても大切だと思いました。
参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」