思いがけない幸福論

 「人は見かけによらぬもの」と言いますが、「幸せも見かけによらぬもの」であるようです。
 「幸せ」を感じる要素のひとつに「相対的な優越」があることは否定できません。

 しかし「相対的な優越」というのには、比較する対象が二種類あるようです。

 ひとつは「他よりも良い」「他人よりも良い」という物質的な比較です。

 もうひとつは「過去よりも良い」「現在よりも良くなるだろう」という時間的な比較です。

 私たちは後者をつい見落としがちです。

 次の文章を読むと、案外多くの人が「そうだよな〜」と納得するのではないでしょうか。


ユヴァル・ノア・ハラリ著

「サピエンス全史(下巻)」幸福度を測る P221より

 だが、あなたが年収二五万ドルの経営幹部だつたとしたら、宝くじで一〇〇万ドルを獲得したり、会社の役員会が突然、あなたの報酬を二倍にすることを決定したりしたとしても、主観的厚生の向上はわずか数週間で消えてしまう可能性が高い。

 研究データによると、長い目で見れば、こうした要因があなたの幸福感にそれほど影響しないことは、ほぼ間違いないらしい。

 酒落た高級車に買い替え、豪邸に引っ越し、カリフォルニア産のカベルネではなくシャトー・ペトリュスを飲むようになるだろうが、それらはどれも、ほどなくありふれた日常経験に思えてくるだろう。

 興味深い発見は、まだある。

 病気は短期的には幸福度を下落させるが、長期的な苦悩の種となるのは、それが悪化の一途をたどったり、継続的で心身ともに消耗させるような痛みを伴ったりする場合に限られるという。

 糖尿病のような慢性疾患の診断を下された人々は通常、しばらく落ち込みはするものの、病状が悪化しなければ、この新たな状況に適応して、健康な人々と変わらないほど高い評価を自分の幸福度につける。

 ここで次のような筋書きを想像してほしい。

 ルーシーとルークは中産階級で育った双子で、主観的厚生の研究へ参加することにした。

 心理学の研究室からの帰り道、ルーシーの自動車がバスに衝突され、ルーシーはあちこち骨折して、片脚に一生障害が残ることになる。

 壊れた車体から救助隊がルーシーを救出しているちょうどそのとき、携帯電話が鳴り、宝くじで一〇〇〇万ドルの賞金を手に入れたぞ、と叫ぶルークの声が聞こえる。

 二年後、ルーシーは足を引きずっており、ルークは格段に羽振りが良くなっているが、心理学者が追跡調査のために二人のもとを訪ねると、どちらもあの運命の日の午前と同じ回答をする可能性が高い。