2100年のマルコポーロ

 ロシアは飛行機で日本のまわりをぐるぐる飛んだり、中国は大きな船で尖閣諸島をまわったり、大震災で支援してくれた国々と我が日本はいつもの角突き合わせをまたはじめそうです。
 そして核兵器を保持するために原発は必要だと堂々と話す人も多くなってきました。ナショナリズムでヒリヒリする世界はこの先いつまでも続くのでしょうか?

2100年のマルコポーロ
 2011年、日本に人知れずエントロピーの法則を超克した男がいた。彼は偶然エントロピーの法則が歪む時空の亀裂を往き来できるようになった。彼はそれを実現する乗り物「時空自転車」に乗って過去や未来へ飛んだ。

 彼はすでに2050年から2051年の未来にもタイムスリップしたことがある。   「2050年のマルコポーロ」  「2051年のマルコポーロ」

「時空見聞録」より

 これで時空旅行は2回目になる。決して望んだわけではない。突然海に放り出されたようなものだ・・・。

 爽やかな秋空の今朝、久しぶりに自転車で会社へ向かった。実に気持ちがいい!

 ところが、土手道を走り始めて30分、またも目の前にあの雲の渦巻きが発生した。あっと思う間もなく、私の自転車は「時空自転車」となって未来へ飛んだ。

 たどり着いた未来は2100年の日本だった。

 不思議なことにあまり違和感がないのはどうしてだろう?土手や川は昔のようにある。チョウチョやトンボも飛んでいる。少し安心した。

 空を見上げたら、音もなく小さな飛行機のようなものが数機飛んでいる、というか漂っている。街の方を見ればそんなに高い建物もなく、逆に牧歌的だ。まるで過去に飛んだような気分になった。

 街へ入ってみよう。えっ!ここは日本か?いろんな肌の色の人がいる。いったいこの時代の社会はどんな風に変わったんだ?

 (私はこの時代に一ヶ月ほど滞在した。その間に知った興味深いことをかいつまんで話そう)

 2100年、世界で大規模な戦争は起こらなくなっていた。なぜか?それは兵器の価値がまるっきり変わったということが大きい。

 2011年の物理学はまだ幼稚だった。生物と非生物の境界を勝手につけていた。ところがこの時代、その境界はかなりあいまいになった。

 磁石のS極とN極が引きつけ合うように、恋人同士が惹かれあうように、あらゆる物質のすべての原子には特有の「引力」があったのだ。

 互いに引かれあった物質は遠く離れていても、異常に高いエネルギー状態に遷移することがわかった。

 はるか過去の時代から、原因不明の大事故、想定外の天変地異は後を絶たなかったが、ようやくこの時代、それが引かれあう物質同士の「引力」によるものだということが理論的に証明されたのだった。

 これは、人間が制御不能な原理であった。人の恋愛と同じく法則化できないことなのだ。

 この原理は、兵器、特に核兵器の価値にコペルニクス的転回をもたらした。自国の核兵器を慕う(?)他国の核兵器が存在すると一緒に爆発してしまうのだ。それを予測することも制御することも出来ないのだ。

 危ないものを持てば持つほど我が身が危険ということを人類は初めて知った。神が人間をついに許してくれたのかもしれない。

 武器のない社会は何をもたらすか?それは国境という壁をこわした。問題解決を勝ち負けでは決めなくなった。すべては多様な配分という解決法になった。

 国境の壁がなくなったおかげで、かつてのナショナリズムは消えた。かわりにもっと幸せでゆるい境界ができてきた。

 私の時代の小説は現実となっていた。それは吉里吉里国のような独立国(?)が世界中に増えたのだ。

 ちなみに三陸にはイタリア人がいっぱいだ。海の幸を堪能するグルメ共和国として世界でも人気の国になっている。

 北海道はフィンランドと合併し世界の教育センターの役目を果たしている。東京も変わった。こじんまりとした瀟洒な街になった。フランスと合弁の地域が多くなったからだ。

 この時代一番あこがれの場所は山間部だろう。山紫水明、豊かな植物や生き物、アフリカの人達はその身体特性を発揮できるこの地に移住してきた人が多い。

 たしかにこの時代、小競り合いもあれば、この時代ならではの問題もある。しかし大きな不幸は避けられる社会になったようだ。

 こうなれることはわかっていた。かつて日本が藩に分かれていた時代、同じ日本人同士で殺し合っていたのだ。それが明治以降そんな同族の殺し合いを良しとする人など一人もいなくなったではないか。

 境界がおぼろげになったことは、多くの人に「なんだ私たちは同じ格好をした同族じゃないか」という意識を育てたのだった。

 さて、時空の渦が見えてきた。もう帰らねば・・・