みんな子供の頃があったんだよな〜

 最近は「秋の大運動会」が「春の大運動会」に替わったようです。わが孫も来年小学校入学です。招待かけっこがあるとのことで、土曜の朝早くから、前日泊まったわが家の庭で一人一生懸命走っていました。ほほえましいな〜な。

(この写真はネットから借用しました)

 私の会社の向かいは幼稚園です。朝や昼、園児たちのキャーキャー元気な声が聞こえてきます。

 昼間、昼食をとりに自転車で走っている途中には小学校もあります。

 そこでも子供たちが夢中になって走り回っています。

 そんな声や光景に出会うたび、いつも思います。

 「みんな子供の頃があったんだよな〜」と。。。

 どこから人は、「子供」をすっかり捨てて「大人」へと変わっていくのでしょう?

 最近とみに思います。

 「大人」になるとは「成熟」ではなく「腐敗」ではないかと。

 子供時代に無意識ながらみんなが持っていた宝物、「純朴」「生命力」「野性」「感受性」

 これらを、みんなが大事に育てていたら、きっと「原爆」も「原発」も「戦争」も「マネーゲーム」も「環境破壊」もなかったろうに。。。

 なにが「宝物」を捨てざるを得なくさせるのでしょう。

 それとも「宝物」を持っていたことを今でも知らないのでしょうか?

 私たちは「子供の頃」を思い出さなければいけない。。。

 茨木のり子さんの詩が心にしみます。

汲む
 ―Y・Yに―

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

参考(茨木のり子さんの詩を引用してあるブログです)
 大きい制服の新入生へ
 茨木のり子「球を蹴る人」
 茨木のり子「行方不明の時間」
 茨木のり子「友人」
 店の名
 久しぶりに茨木のり子さん
 人生の季節
 倚りかからず
 ロートル・ネット・シンドローム
 「鍵」を探し続ける日々
 年々かたくなる、からだと心
 ふと心をうたれた詩