茨木のり子「系図」

 茨木のり子さんの詩です。情感ゆたかで爽やかな詩が多いなか、まるで反対の表情を想像させられる詩も多いんです。
 そんな詩の典型はあの有名な「わたしが一番きれいだったとき」でしょう。

  →わたしが一番きれいだったとき

 茨木のり子さんは生きていれば私の父と同じ歳です。

 太平洋戦争終戦のときは二十歳です。

 戦争に対する強い憤りがあふれた彼女の詩はとても多いのです。

 「系図」という詩もそのひとつです。

 かなり抑制し軽いユーモアも加えた作品ですが、「国家主義」的思想の背景についていろいろ考えさせられます。


茨木のり子『自分の感受性くらい』より

系図

子供の頃に

叩きこまれたのは

万世一系論

くりかえしくりかえし

ーつの家の系図を暗誦


それがヒストリイであったので

いまごろになってヒステリカルにもなるだろう

一つの家の来歴がかくもはっきりしているのは

むしろ嘘多い証拠である

と こっくり胸に落ちるまで

長い歳月を要したのだ


何代か前 何十代か前

その先は杳として行方知れず

ふつうの家の先祖が もやもやと

靄靄(あいあい)と煙っているのこそ真実ではないか


父方の家は 川中島の戦いまでさかのぼれる

母方の家は 元禄時代までさかのぼれる

その先は霞の彼方へと消えさるのだ

けれど私の脈樽が 目下一分間七十の

正常値を数えているのは

伊達ではない


いま生きて動いているものは

並べて ひとすじに 来るもの

ジャマイカで珈琲の豆 採るひとも

隣のちいちゃんも

昔のひとの袖の香を芬芬と散りしいて

いまをさかりの花橘も

きのう会った和智さんも

どういうわけだか夜毎 我が家の軒下に

うんちして去る どら猫も

ノートに影 くっきりと落し

瞬時に飛び去った一羽の雀も

気がつけば 身のまわり

万世一系だらけなのだ

 「お国自慢」、つまり自然自慢、食べ物自慢、人柄自慢はとってもほほえましいことです。

 「国家自慢」、つまり人種自慢、歴史自慢、正義自慢は、自分たち以外のみんなからは敬遠されます。

 考えてみれば、茨木のり子さんのいうとおり、世界の人も、いや生き物すべてが万世一系です。

 みんなが微笑むことのできる「自慢」や「誇り」じゃないと無用な争いの元になるだけです。

 どうしてもという人は、自分の心の中だけに大切にしまっておけばいいのではないでしょうか。

参考
 倚りかからず
 年々かたくなる、からだと心