昨年の日本アカデミー賞作品だったんですね。最近映画館とご無沙汰してたのでうっかり見逃していました。
BSテレビで放送されていたのを何となく見ていたら、ついつい引き込まれ最後まで見てしまいました。
『舟を編む』は「辞典」の出版をテーマにした映画です。
「三浦しをん」さんという女性作家の原作で、この本は書店員さんたちの投票による「本屋大賞」も受賞していたんです。
中型国語辞典の編纂という、実に地味で制作現場のことなど想像もしなかった世界の舞台裏をかいま見せてくれました。
この映画(物語)では、新しい国語辞典を企画して出版されるまで12年かかったという設定です。
それでも早くできた方だというストーリーですから、本当にあるあれこれの有名辞典はいったいどれほどの年月がかかったことでしょう。
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いろんなことを思い出しました。
私が初めて辞典と出会ったのは、中学校に入るときでした。
国語辞典、漢和辞典、英和辞典を持たせられ、何やら学問世界の旅行へ旅立つような心持ちがしたものです。
やがて高校生。
英和辞典は研究社の「新英和中辞典」に代わり、国語辞典の他に古語辞典も買わせられ、辞書はカバンにますます必携のものとなりました。
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国語では何よりも権威とされ、まぶしく感じていたのは「広辞苑」でした。
あまりに厚くて図書館用でした。
ときどき変わり者の同級生が授業中に机においてカッコつけていたことも思い出します。
しかし私自身この辞典に対するあこがれは強く、結婚して社会に出た後、女房に誕生日プレゼントでもらって、とても満足したことを思い出します。
この映画を見た後、ふとそれを思いだし、戸棚を開ければそのときの「広辞苑」が入っていました。
昭和53年に買ったものですから、もう茶色にやけています。
でも古ければ古いほど貴重な存在に思えてくるのは不思議です。
今やこれだけ手をかけた印刷物ってあんまりありませんからね〜。
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映画の中で話されていた編集者たちのこだわりをおもしろく思い、実際に調べてみました。
そのこだわりの一つは「他の真似をしない説明」でした。
例として出ていた「右」と「北」の説明を二つの辞書で比較してみました。
広辞苑
みぎ「右」
(古くはミギリといった。ニギリ(握り)の転か)
1.北を向いたとき、東にあたる方。
(以下略)
三省堂「国語辞典」
みぎ「右」<名>
1.南を向いたとき、西にあたるほう。
(以下略)
同じことを言うのに、意識して他社と表現を変えているな〜というのがよくわかります。
「北」はどうでしょう。
広辞苑
きた「北」
1.方角の一。日の出る方に向かって左の方向。
2.北風の略。
三省堂「国語辞典」
きた「北」<名>
1.日の出る方向に向かって左の方角。
2.北風。
そっくりな定義ですが、「方向」を「方角」と微妙に表現を変えていることがわかります。
なるほど、このようにそれぞれ個性的な説明を工夫していたんだな〜と、まるで編纂者の顔付きまで見える気がします。
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もうひとつびっくりしたのは、校正が5回もあることです。
映画では、最後の校正でひとつ抜けが見つかり、納期遅れ覚悟でもう一度校正し直しをする場面がありました。
アルバイトも含め、何日も多くの人が狭い編纂室で泊まり込みの作業を行っていました。
まるでアニメ制作の追い込みの時のような。。。
新人編集者の女の子が「ここまでしなくてもいいんじゃないですか」と言うのに対し、
ベテラン編集者がこう問い質します。
「もし、辞書が間違っていたらあなたはどう思いますか?」
女性は図らずもこう答えました。
「辞書を信用しなくなります」
私もハッとしました。
辞書は私たちのとても大切な「基準」なのです。
彼ら辞典編集者とは、実は私たちのもっとも基本的なところで「モラル」を守る仕事に就いていた人たちだったのです。
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最後に感動したのは、「ぬめり感」というものです。
映画でもベテラン編集者が自分の指の腹を見せながらこう言っていました。
「私たちの職業病、指紋がなくなっちゃうんだ」と。
職業病ではないですが、私も歳のせいか、指紋がなくなり本のページめくりにとても苦労しています。
映画では、ページををめくりやすくするための紙質、つまり手に吸い付く「ぬめり感」について、印刷屋さんとの容赦のないやりとり、試行についても映していました。
ためしに、広辞苑をめくってみました。
びっくり!指紋がなくなりつつある私の指でもストレスなくめくれるではありませんか!
なんか私は涙ぐんできました。
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辞典編纂という長期的な仕事にコツコツと携わっている方々。
老若男女関わらず、だれでもが使えるために究極の使い方に妥協を許さず工夫を重ね続ける方々。
あ〜〜、ここに「職人」の世界は生きていたのだな〜と感激しました。(物語ではありますがほとんど実話に近いことでしょう)
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もうひとつ原始仏教の研究で世界的権威であった中村元さんのエピソードも思い出しました。
中村元(インド哲学者・1999年没)の有名なエピソード。
20年かけて執筆した『佛教語大辞典』の原稿をある出版社が紛失してしまったが、中村さんは怒りもせずに8年かけて書き直し、別の出版社・東京書籍から刊行した。その境地には感服するが、脱帽すべきは紛失した出版社名を終生明かさなかったことだ。
辞典というとてつもないことに関わる方々というのは、どこか超越した人間性があるのだな〜と感じたのです。
今や電子辞書がが主流となってきましたが、その内容は、長い歴史をかけて編纂されてきた印刷物である「辞典」を写しているのです。
「大切なこと」「もともとのこと」を忘れちゃいけないな〜と強く思いました。