「愛」という言葉いろいろ

 人生いろいろ♪ 言葉もいろいろ♪ ちまたに氾濫する「愛」という言葉についてすこし考えてみました。
 最近の「愛」は「勇ましき愛」が多いように思えます。

「愛する人を守るために」「愛国心」・・・

 いったい「親愛」「慈愛」「情愛」などの、やさしき「愛」はどこへ行ってしまったのか。。。

・・・・・・・・

 そこで、広辞苑で「愛」を調べてみました。


(30年前に買った広辞苑は今でも現役です)

あい【愛】

  1.親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。

  2.男女間の、相手を慕う情。恋。

  3.かわいがること。大切にすること。

  4.このむこと。めでること。

  5.愛嬌。愛想。

  6.(仏)愛欲。愛着(あいじゃく)。渇愛。強い欲望。十二因縁では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的にみられる。

  7.キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。

  8.愛蘭(アイルランド)の略

 むむっ。。。

 ちまたにあふれる「愛」は、6の「愛欲。愛着(あいじゃく)。渇愛。強い欲望」なのではないでしょうか?

 そのひとつかもしれない「愛国心」という言葉について、二人の言葉を引用します。

・・・・・・・・

 詩人の川崎洋さんは『ことばの力』という本の「愛のことば」という章で、こんなことを語っています。

 ・・・それに、名詞になると、さまざまで、たとえば手紙の結びに、「ご自愛下さい」などと、慣用句として使う分には、まるで抵抗はありませんが、

 「愛国」という字を目にしたりすると、国を単位にしてすべてを考え、その主義を人に押しつけようとする人たちの、すえたような体臭が匂ってきて、鳥肌がたってきます。

 愛ということばを、ちゃっかり国にくっつけやがって! このスットコドッコイ!

 わたしが言っているのは、国を愛さないということではなく、国以前に人間を愛するということです。

 人間が単位なのです。

 わたしは、わたしが住んでいる町の町内会のためには死ねないでしょう。

 市のためにも県のためにも死ねないでしょう。

 国のためにも死ねません。

 しかし、もしかしたら、わたしの娘のためになら死ねるかもしれない。・・・

・・・・・・・・

 司馬遼太郎さんは、「『昭和』という国家」でこんなことを語っていました。

 ・・・むろん、愛国心はナショナリズムとも違います。

 ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。

 これは、人間の感情としてはあまり上等な感情ではありません。

 愛国心あるいは愛国者とは、もっと高い次元のものだと思うのです。

 そういう人が、はたして官僚たちの中にいたのか、非常に疑問であります。

  →司馬遼太郎さん「真心」

・・・・・・・・

 「愛」とは、もともとどのような「雰囲気」をもった言葉であったのでしょうか。

 買ったばかりの中村明著『日本語 語感の辞典』には、「愛」の感覚的な表現が引用されていました。


(文学的香りのただようユニークな国語辞典です)

あい【愛】

 相手をいとしく思い大切に慈しむ気持ちをさし、会話にも文章にも広く使われる基本的な漢語。

 (母性愛)(愛を打ち明ける)(愛の結晶)(親の愛に飢える)

 井上靖の『猟銃』に「愛というものは、太陽のように明るく、輝かしく、神にも人にも、永遠に祝福されるぺきもの」とある。

 「恋」や「恋愛」が男女間に限られるのに対し、この語は色恋に限らず、親子の間の愛、兄弟愛、隣人愛、人類愛から、万物への博愛、郷土愛、愛国心、神の愛まで、さまざまな形の愛情を表すのに用いられている。

 恥じらいを知る日本人はこのようなあからさまな語を人前で発することを伝統的に照れてきた。

・・・・・・・・

 だれもが至高の価値と思う「愛」、しかし「愛」ゆえの悲惨もとどまるところを知りません。

 いったいどこに問題があるのでしょうか?

 それは、私たちがなにもかにも「愛」という言葉ひとつだけで表現しているせいではないでしょうか。

 本来は「愛欲」「愛着」「渇愛」「情愛」「親愛」「慈愛」などと分けるべき言葉を一律に「愛」という言葉でひとくくり。

 「愛するあなたを守るために」「愛する国を守るために」も「自然を愛する」「ふるさとを愛する」も同じ「愛」と思われています。

 他者を排除する「愛」と、他者とつながる「愛」とが区別されていないようです。

・・・・・・・・

 多様な「愛」がどれもこれも同じ言葉で語られつつある現代、この後どのような世界につながっていくのでしょう。
 
 多様な言葉が一つの言葉に還元されていく世界の恐怖を、ジョージ・オーウェルは『1984年』で書いていました。

 国家全体主義の権力者は、言葉をなくしていくことによって思想統制を図っていこうとします。

 主人公にこう語ります。

 「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。

 最終的には(思考犯罪)が文字通り不可能になるはずだ。

 何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。

 必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される」

  →言葉の大切さ

・・・・・・・・

 最近はこのようなブログを書くのがとてもつらく感じます。

 「愛」も「憎」も区別がつかない、日々「むき出し」の世の中に変わっていくようで。。。

  →ノボ辞典「愛国心」「愛国主義」