シンタロウの子供時代

 原発推進、原爆万歳、立ち上がれ日本民族よ!「障子破り」に始まった奇想天外こわもて人生。東京村の大酋長「シンタロウ」。まだまだイケルぞ空元気。今日も尖閣買いに行く。
 社会が末期症状になると、とにかく空元気のいい人が大人気です。(末期症状にした政治家がいるから人気が出るというわけですが。。。)

 でも、ほとんど、単発「打ち上げ花火」です。

 空元気が過ぎて本気になりすぎると、末期症状は「危篤」に変わります。その悲惨な例はヒトラーでしょう。

 空元気人種の得意な術は「変身の術」。シンタロウさんもかつて無謀にもアメリカに楯突いて『「NO」と言える日本』から反米絶口超へ。

 ところが、いつものパターン。隠し子スキャンダルで脅かされ(という噂です)、あっというまに広い国会村を捨てて小さな東京村へ出奔。

 今や、次々現れる打ち上げ花火。夏の夜空を飾るのは「シンタロウ」と「ハシモト」の豪華二連発。

 やがて夜が明け、花火の後の食い散らかした会場が目に浮かびます。。。

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 そろそろ、強権(狂犬?)政治家のハッタリ能力にばっかり頼らないで、別な道を考えませんか?と言いたいですよ。

 「クラスター爆弾禁止条約」がヨーロッパの小さな国の小さな市民の小さな力からはじまって、世界の政治を動かし実現したように。

 「政治にやってもらう」から「政治にやらせる」の転換ですね。

 それには「政治」とは別の、「政治を動かす市民ネットワーク」の成長が必要ではないでしょうか?

 そんな道が広く太くならないと、政治家なんか誰がやっても同じ道のりをたどります。

 純粋な初心、立派な経歴、立て板に水の弁論術があったって、政治家集団の力と言葉の迷路にはまり、(バカでない限り)だれでも間違いなくダークサイドに転落。「ダース・ヴェイダー」が次々増えていくだけです。

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 もうひとつ、政治家には自分の原風景を思いだしてほしいですね。

 原風景には、きっと「ふるさと」「自然」「人々」「笑顔」「無垢な感動」。。。こんなのが必ず入っていると思うんです。

 今、自分が選択しようとしていることは、自らを育んでくれたその「原風景」に対して善なのか悪なのか、そういう感性的判断がとても大事だと思うんです。論理的思考だけじゃなく。

 ね〜、シンタロウさん?

 さすが作家ですよ。あなたの少年時代の文学的なワンショット。皆さんに紹介させてください。

 もしこの頃の自分が今いたら、原発や原爆をどんなふうに考え何を選択するのかな?

朝日新聞 2012.6.7

石原慎太郎さん〈おやじのせなか〉

目の中のすす、なめてくれた

 小学生のころだった。蒸気機関車の窓を開けていて、目にすすが入ると、目玉を舌でパッとなめて取ってくれた。他人が聞けば気持ち悪いかもしれないけど、親だから僕は甘んじた。こすったりせず、本当にすぐ取れたな。無類の子煩悩だった。

 5、6年生になっても、よく風呂に誘われた。こちらは、ヘアも生えてきて、ちょっと恥ずかしいんだ。照れくさいけど、おやじが体を洗ってくれる。それで僕も「じゃあ、お父さん」と背中を洗った。一緒に入るのが楽しかった。

 おやじは汽船会社で不定期航路を配船する名人の一人だった。中学3年生の頃、「小さなヨットを買って」とせがんだ。バカ息子にベンツを買うのとは違い、ヨットは免許を取っても努力しないと乗れない。横浜の金沢八景から、ヨットを載せたリヤカーが来たときは、何とも言えないときめきで、お嫁さんが来たような気持ちがしたよ。

 手入れは兄弟で分担したけど、やがて弟が放蕩(ほうとう)を始めた。仕方なく僕が2人分をするけど、裕次郎の分はちょっと手を抜いちゃうんだ。おやじが梅雨時に、川に沈んでいるヨットを見つけて「売り払うぞ」と怒った。弟とずぶぬれで水をくみ、船を浮かしたこともあった。

 おしゃれでね。ぜいたくな布地の背広を着たり、カンガルーの革靴を履いたり。パイプを吸い、酒を飲み、51歳で高血圧で亡くなった。おやじの遺(のこ)した背広は少し短めだったけど、学生時代、とてもありがたかった。

 おやじが撮った写真は、僕らの後ろ姿が多い。幼いころに住んでいた北海道で、僕と弟が羊の群れに立ちすくむ姿、ピクニックで花を摘む姿。「こっち向いて」などと言わず、さりげない、子どもの本当の姿を撮っていた。なまじ正面を向いた写真より、その一日を思い出す。本当にいいスナップだったな。

 いま声をかけるなら「私はこれでよかったんでしょうかね、お父さん」だね。「おやじの背中」じゃないんだ。僕はいつもおやじを正面から眺めていた。おやじも正面から見ていてくれた。

参考
 みんな子供の頃があったんだよな〜
 ヒトラーの秘密