幸せの決算書

 ルネサンスのイタリア人は罪な発明をしたものです。それは複式簿記とその終点「決算書」です。だって「決算書」のために原発を廃止できないというんですから。
 どっかおかしいんじゃないですか?もう500年以上も続いてきた「経理のしくみ」は。


 1494年 イタリアの修道僧ルカ・パチオリLuca Pacioli (1445年頃〜1514年)が49歳のときに「数学・幾何・比例・比率要論Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalita (Everything About Arithmetic, Geometry and Proportion)」を出版し、複式簿記(Double-entry Bookkeeping)をはじめて体系的に紹介した。現在われわれが用いている複式簿記とほとんど差異はない。会計の父と言われる。 →簿記・会計の歴史的概観より

 私も会社経営をしていますから、人一倍「決算書」へ執着しています。そして「決算書」さえよければ俺は尊敬されて当然だ、と無意識に思っている節もあります。(反省しながら書き進めています)

 しかし、昨今の「原発を廃炉にしたら電力会社が債務超過になるからできない」と暗にほのめかしている新聞記事を読んで、こりゃ行き過ぎだ、あるいは「決算書(だけの社会)」の限界だ、と強く思ったのです。

 →原発廃炉なら4社債務超過損失計4兆円超経産省試算.docx 直

 なんか「やりよう」があってしかるべきじゃないですか?「命」より「数字」が大事だなんて。。。

 今日は私論の試論です。ズバリ大胆な想像からはじめて自らの発想を刺激してみます!

もしこの世に「決算書」がなかったら?

 私は「決算書」がなくても、この世界、つまり自然とか人々の暮らしとか生き物の多様性とかは、すべて何事もなく存在していたと思うんです。もちろん今とまるっきり同じではないでしょうが。

 だって、自然の恵みは「決算書」が造り出したものじゃないですから。

 かたや「決算書」がある現実の世界はどうでしょう。

 「原発、ゲンバク、銭まみれ」

 未来の生命体(人類?)にそう誇れる世界ではないでしょう。

経済価値だけの「決算書」

 複式簿記君がつぶやいています。

 「経済価値一本だからシンプルで長持ちするしくみなんですよ。多様な価値の中の一つである経済価値を客観的に比較計量するためにできた私を、それしかないって責めてもしょうがないでしょう」

 しかしね複式簿記君。「物」の代わりに交換価値として「金」が動いていた時代ならいいんだよ。ところが今や「金」で「金」を買う取引が社会のしくみになってしまったんだ。だから今では世を動かす評価基準は「決算書」だけ。つまり「金」以外の価値はなくなってしまいそうなんだ。

 もし君の「決算書」が「経済価値(金)」以外の価値も入れて成り立つ構造だったら、価値の多様性は損なわれなかったんだが。。。生まれたときの君は思いもしなかったろうが、もう君は「この世の絶対君主」になってしまっているんだよ。

 しかも、生まれたときから「金」しか知らない(真の)世間知らずのお坊ちゃま君なんだよ。どっかの国の坊ちゃん元首「金なんとか」ちゃんみたいな感じかな。。。

潜在的経済価値を表せない「決算書」

 複式簿記君、企業は君の「決算書」が悪いと信用がなくなって倒産一直線になるんだ。ところが実際は「金」が足りなくても「技術」や「人」、社会にとっての「存在価値」など「潜在的経済価値」が豊かにある企業も多いんだ。

 それを誰も知らないわけじゃないんだが、問題は「潜在的経済価値」が測定できない、(とても測定しにくい)ということにあるんだよ。

 それは、君のしくみにはもともと「経済価値」しかなかったから、それだけを計る技術だけが500年以上も続いてきたというわけだ。他の価値を客観的に計る技術は今に到るまでないのさ。

 複式簿記君は言い返します。「そんなことないじゃない。投資家は技術開発力とか独創力とかちゃんと評価してるでしょう。会社を売買するとき『潜在的経済価値』をきちんと評価してるじゃない?」

 それは「決算書」のおまけ。それにアップルとか実に「潜在的経済価値」が強いほんの一部の会社に対してだけなされることさ。その他99.999%の企業には関係なし!

経済価値以外を排除していく「決算書」

 私も長年経理をやってきて実によくできたしくみだとは思います。コンセプトが「状態」と「時間」ですから、まるで相対性原理のように四次元世界です。

 「状態(資産と負債の対比)」を表す「貸借対照表」、「時間(期間の損益)」を表す「損益計算書」

 論理的な人ほどこの「経済価値」に「要素還元」されたしくみに、数学的美と信頼を感じていくのです。

 そしてこう思います。「企業活動のすべては複式簿記の『仕訳』に還元されていく。そこには人的要素も社会的要素も結果としてすべて含まれるのだ」と。

 「経済人種」はこう結びつけます。「経済価値の喪失イコール『幸せ』の喪失だ」

 ですから「私たちの幸せ」のために良き数字の「決算書」が第一に必要で、そのために原発だろうがマネーゲームだろうが止めてはいけないというわけです。

 みなさん、これでいいですか?

 私は、今や社会の基本理論になった複式簿記の「決算書」には、現実に対応できない根本的な欠陥があると思います。

 それは機能の不良ではなく、構成要素の不足、つまり「経済価値以外の価値」が計上されないことにあると思います。

新しい「決算書」はどうあるべきか?

 それを「幸せの決算書」として想像してみましょう。

 「幸せの決算書」では世にある多様な価値を計上します。
 「経済価値」:どれだけ金持ち?どれだけ儲けた?

 「社会的価値」:この地域、この国、この世界に、この会社があってくれてよかった?

 「人間的価値」:働いている私にとって、商品を享受している私にとって、この会社があってくれてよかった?

 「生命価値」:生き物のために、環境のために、地球のために、この会社があってくれてよかった?

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 これらの多様な価値を「決算書」に計上できるように学者は研究をします。

 基本構造は現状の「複式簿記」と「決算書」のしくみのままでいいと思います。

 その効果の発現が近いなら流動資産に計上し、遠い未来なら固定資産に計上します。

 名称は、そうですね〜、「社会貢献資産」とか「未来創造資産」とか「地球持続資産」とか。。。

 土地と同じで減価償却などしません。

 計測の方法はかなり工夫を要するでしょう。

 企業価値測定機関もできていくでしょう。多くの人へのアンケートも必然となるでしょう。

 道のりはとても困難かもしれません。

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 経済価値と経済価値以外の価値の交換はどうするか。

 そこが思案のしどころです。

 「企業信用通貨」の発行はどうでしょう。

 地域通貨のような発想で、これで取引ができるしくみをつくるのです。

 「企業信用通貨」を担保するのは、企業を応援したい人々、地域、企業仲間、そういう利益目的でない善意の人々にするのです。

 もちろん地域の銀行や地方自治体、国も積極的に、信用維持に協力します。

 そして大規模なファンドを設立します。

 このファンドは「経済価値以外の価値」に対してだけ活用されます。

 「経済価値以外の価値」が大きいのだが、「経済価値」の創出が不十分だという企業に対して、支援するしくみも充実させていきます。

 それは、「経済価値以外の価値」を大事と考える企業どうしの取引、技術提携、技術研究、賛同する消費者への販路拡大などについて、今まで「単なる利益」を得ることだけに携わってきた経済の専門家が全力で協力していくのです。

 「単なる利益」から「幸せにつながる利益」に対象を変えていくのです。

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 やがて「あの会社、あの店、あの従業員。。。あってくれて良かった!」という人々が日々増え始めることでしょう。

 「お金」という肥料でもあり農薬でもあるものをかけすぎて、かえって弱ってしまった土壌が、また少しづつ野性を取りもどしていけることでしょう。

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 書きながら思考しています。今日はここまでにします。

 皆さんもアイデアございましたらどうぞご教授ください。

参考
 20世紀最大の損失とは