イズミ君の情熱

 久しぶりに『思い出アルバム』をめくってみます。「美人薄命」のように「賢人薄命」もあるような気がします。

イズミ君の情熱
 

 小学校では、学年一の秀才は「イズミ君」だった。三つの小学校が統合された中学校でもやっぱり成績は一番だった。高校は県で一番入試が難しい学校に入った。ところが、高校へ入学した年に彼は急逝してしまったのだ・・・四十二歳で亡くなった親友のナオヤ君もそうだが、どうも「賢人薄命」と言えるようだ。


 先日の朝方、どういうわけかイズミ君の夢を見た。生前の彼を思い出して追悼しようと思っている。イズミ君には頭のいい子の特徴がみんなそろっていた。性格は柔和で、決して無理はせず、けんかもしなかった。適当に運動したり遊んだりもしたが決してやりすぎはなかった。頭がいいと言われる人は、エネルギーのムダ使いがないのだ。


 小学校四年生の冬休み、私はイズミ君に誘われた。彼が誘うなんてめずらしいことだった。「近くにとってもすばらしい絵を描く人がいるんだ。一緒に行ってみない?」さっそく二人で出かけた。昭和三十年代は、高度成長期とはいえ、まだまだ貧しい家が多かった。目的の家もそんなふうだった。奥の座敷に男の人が布団で寝ていた。


 その男の人は病気で寝たきりのようにみえた。私は少し不安になってきた。ところがイズミ君は急に快活になり、男の人に話しかけた。「また来ました。ノブオ君にも絵を見せてください!」男の人は笑顔で起き上がり、近くに置いてあったスケッチブックをとって、嬉しそうに私たちに見せた。


 その絵はとても精密な「鉛筆画」だった。たしか、軍艦や飛行機、それと農村風景やら人物やら写真を模写したような感じの絵がたくさん描いてあった。子供心に、何と精密で写真のような作品だろう!と感嘆した思いが残っている。イズミ君は私に言う。「この絵すごいでしょう。僕は時々来て見せてもらってるんだよ」と。私はびっくりした。(イズミ君は、こんな情熱的な人だったのか!)


 県下一の秀才が集まる高校に入ったイズミ君は、毎朝一番の列車で仙台に通学した。とても大変なことだったろう。亡くなる数ヶ月前に彼は小学校からの同級生「たみちゃん」を訪ねていた。たみちゃんは「紫斑病」という血液の病気で一年休学していた。「たみちゃん、これってたみちゃんの体に出た青あざと同じだろうか?」イズミ君は裸の体を見せて「たみちゃん」に聞いた。それは同じものだった・・・それからしばらくしてイズミ君は帰らぬ人となった。


 中学の同級生がほとんどみんな葬式に出た。そこで思いがけないことを皆が知ることになった。ある同級生の女の子が激しく泣き崩れているのだ。彼女の親友が体を支えてあげていた。彼女は成績もよかったが、運動神経抜群でバスケットの名選手だった。とても活発な、体育会系の溌剌とした少女だった。イズミ君とはタイプが正反対だった。


 みんなが知ったのは、中学校時代から彼が亡くなるまで、二人は交換日記を交わすほど好き合っていたということだった。私以外の多くの同級生たちもこう思ったことだろう。あの物静かな秀才のイズミ君が、このような熱き情熱を持っていたなんて・・・


 私はその時理解した。(イズミ君、見かけも成績の良さも「君自身」じゃなかったんだね。本当の君は、「真に純粋無垢な情熱を持ち続けた人」だったんだな・・・) ボーディー・スバーハー

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